『きみのためにはだれも泣かない』(梨屋アリエ)

梨屋アリエ約3年ぶりの新作は、ショートストーリー集『きみスキ』の続編です。何を勘違いしたのか、『きみスキ』の登場人物でもかなり奇矯な言動をしていた近藤彗に片思いをする中学生女子が現れ、騒動を巻き起こします。
この中学生松木鈴理が、他人のことが全然見えない自己完結人間で、フリーダムな彗までも引かせてしまい、物語はコミカルにスタートします。でも、妹から家のまわりに「変なの」がいるという情報を聞いた彗が近所で会った鈴理に注意すると「わたし、三十分くらい前からずっとこの道にいたんですけど、変わった人は見かけませんでしたよ」というストーカージョークが飛び出すというあたりまでいくと、ちょっと夢見がちな子なだけというような言葉で弁護することはできなくなってきます。
鈴理の他人の見えなさが危険域に入っているらしいことが本格的にわかるのは、祖母の飼い犬が亡くなるエピソードです。鈴理は代わりにその犬に似たぬいぐるみをプレゼントしようと、ひとりで盛り上がります。

もしも愛犬の代わりがぬいぐるみに務まるのなら、親友の代わりだっていくらでも置き換えは可能ですよ。
他人に迷惑をかけないためには、自分の心に迷惑をかけ続けなくてはいけないのと同じように、言葉に出ていくわたしの気持ちだって、置き換え可能ということですから。
(p142)

さて、鈴理の友人で過去に大切な人を喪失した経験のある日下月乃は、喪失というものを理解できない鈴理にいらだちつつ、愛犬を喪った鈴理の祖母と話をしてみたいと思うようになります。しかし思わぬ展開になり、他人の内面は自分の思い通りにはならないのだということ、自分も鈴理と同じ穴の狢だったのだということを思い知らされます。この敗北感は、重いです。
ところで、「他人が見えていない」とは月乃による鈴理評ですが、そもそもこの評は妥当なのでしょうか。大多数の人から引かれるファッションセンスの持ち主でありながら飛び抜けた善良さを持っている近藤彗と湯川夏海を、鈴理は選んでいます。結果だけを見れば、鈴理は人を見る目は持っているということになるのです。かように、他人の内面を理解すること、裁くことは難しいです。月乃は、終盤の事件以前から間違っていて敗北していたのかもしれません。
『きみスキ』の結末は本当に投げっぱなしでした。もちろんそれは作品の欠点ではなく、うまくいかない日常はいつまでも続いていくという苦さを残すところに、この作品の味わいはありました。
それに比べれば、最後に主要登場人物のほとんどが集合してわちゃわちゃするエピソードがある『きみのためにはだれも泣かない』は、物語としてきちんと収束しているように見えます。しかし、実は根本的な問題はほとんど解決しておらず、それぞれの登場人物たちは大きな敗北小さな敗北を抱えたままその後の人生を生きていくしかありません。とはいえ、敗北を自覚することは新たな一歩を踏み出すスタート地点ともなりえます。この子たちの人生には永遠にハッピーエンドなど訪れず、敗北してまた立ち上がり歩き出すことを繰り返していくのでしょう。これこそが、物語ではない人生の真実です。
やはり、こういう苦くも気高く美しいYAは梨屋アリエにしか書けません。YA界に梨屋アリエは必要不可欠な存在であるということをあらためて認識させられます。