『大林くんへの手紙』(せいのあつこ)

大林くんへの手紙 (わたしたちの本棚)

大林くんへの手紙 (わたしたちの本棚)

クラス全員で不登校の子の家に押しかけて手紙を渡すという、正気とは思えない地獄イベントが序盤に発生します。このインパクトで、一気に作品世界に引きこまれてしまいました。
小学6年生の文香は、「ウソの作文」を書くのが得意で、さほど苦労せず先生を喜ばせることのできる読書感想文などをでっちあげることができる子でした。しかし、ある作文で苦労させられることになります。それは、不登校の大林くんに宛ててクラス全員で書くことになった手紙です。ほかの子は自分の気持ちを書けているのに自分だけウソしか書けなかったと思った文香は、とりあえず「いつかちゃんとした手紙を書きます」とだけしたためたたった1行の手紙を郵便受けに入れ、その後しばらく大林くんについて思い悩むことになります。
文香は別に薄情な子だというわけではないのでしょう。同年代の子よりも高いものを求めているがゆえに自分は劣っていると思いこんでいる、そんなタイプの子のようです。そもそも文香と大林くんにはほとんど接点はなく、ただたまたま同じクラスになったというだけの他人でしかありません。手紙を書く義務はあっても義理はないのです*1
この物語は、「大林くんが学校に来なくなった理由が判明して問題が解決してみんな仲良くなってハッピーエンド」という方向には進みません。大林くんの内面は不可視なので、文香はそのわからなさに向き合うしかありません。
そこで手がかりになるのが、演技であり、真似をすることです。文香の母親は歴史マニアで、文香は母親につきあって「ござる」口調で話したり聖地巡礼に行ったり戦国時代の茶菓子を試食したりしています。そこから学んだのか、文香は大林くんの席に座って、大林くんが見ていたのと同じ「景色」を見ようともくろみます。ここで非常に即物的でささやかな発見が生まれます。このささやかさが絶妙です。他人のことを理解することはできないけれども、かすかな共感を持つことはできるという希望が説得力を持って描かれています。
文章もものすごく研ぎすまされている感じがします。175ページの短さで、ほぼ1文ごとに改行されているので、ボリュームは少ないようですが、密度が濃いです。たとえば、児童が書いた手紙を先生がチェックする場面はこうなっています。

「はい、いいですよ」
先生が言うと、言われた子はほっとしたように自分の席に戻った。先生が手紙を大きな封筒にしまう紙の音が、ぱさり、と教室に響く。
ぱさり、ぱさり、という紙の音。そして、席に戻る子たちの足音。

先生が怖いとはっきり書かれているわけではないのに、この描写で先生が支配的で教室が静まりかえっている寒々とした様子が、的確に伝わってきます。声高ではないのに饒舌。これは並みの筆力ではありません。
派手なわけではないのに、奇妙な迫力を持っている作品です。

*1:この距離感が作品を成功に導いているようにも思えます。クラスには大林くんに片思いをしていて、毎日はがきを送りつけるというストーカーまがいの行動をしている女子がいるのですが、こちらを主人公にせずこのような熱情を客観的に冷静に見られる立場の人間を主人公に据えたことにより、ほどよい作中の温度が成り立っているようです。