『ジェリーフィッシュ・ノート』(アリ・ベンジャミン)

ジェリーフィッシュ・ノート (文学の扉)

ジェリーフィッシュ・ノート (文学の扉)

「中学か。いくらお金をくれるっていわれても、また中学生にもどるなんてまっぴらだね」
(p95)

2015年の全米図書賞の最終候補に残った、アメリカの闇の百合児童文学です。
12歳のスージーは、幼いころからの親友フラニーが海で溺死して以来、口を利かなくなりました。泳ぎが得意なフラニーが溺死したことを納得できないスージーは、イルカンジクラゲが彼女の死に関与しているのではないかと疑い、調査を始めます。
実は、死別の前からふたりの関係は破綻していました。スージーは理系少女で、生物や宇宙のことに興味が偏っています。男の子のことなど「ふつう」の女子っぽいことに興味が移っていったフラニーとは、だんだん話が合わなくなっていきます。そして、もっと大きな断絶も立ちふさがります。

「男の子のことよ。だれが好き?」
わたしは顔をしかめて、「だれも」といった。好きな子の名前をいいたくないときは、女の子はそういうのよね。だけどわたしの場合、ほんとにそうなの。そういう意味では、好きな男の子なんていないの。
(p80)

性指向の不一致という壁。友情から恋へと変化したスージーの思いは、フラニーには届かなくなってしまいます。
内向的で社会性に欠ける理系少女が孤立して暴走してしまう様子が痛々しくて、読み進めていくのがつらかったです。理屈先行で非社会的な子が論理的帰結としてあのようなことをやらかしてしまうということも理解できますし、やられた側からすれば、意味不明で泣くしかないというのも理解できます。児童向けの恋愛ものとしては、かなりえぐい部類に入ります。
しかし、そういう少女の内面の豊かさはみずみずしく描かれています。クラゲは永遠の命を持つということ、過去も未来も同時に存在するということ、幅広い知識を得て思索を深め、この世界の実相を知ろうとする姿は魅力的です。
同性愛者が主人公の作品ですが、それは作品の主軸にはほとんど関与していません。スージーの兄も同性愛者で、物語の最初のほうから「兄のボーイフレンド」という言葉が当たり前のように出てきます。もはや同性愛は特別なこととして扱う必要がないとしていることも、この作品の成果のひとつです。
しかし、あの結末はどうなんでしょう。気のいいADHD男子ジャスティンの扱いが雑なのは、まあ男子は恋愛対象には入らないから仕方ないとしても……。いや、それが現実的選択だということもわかるんだけど……。