『ぼくとあいつと瀕死の彼女』(ジェス・アンドルーズ)

ぼくとあいつと瀕死の彼女

ぼくとあいつと瀕死の彼女

白血病で女の子が死んじゃう話です。しかし、作者まえがき(ジェス・アンドルーズではなく、物語の語り手で主人公の高校生グレッグ・ゲインズによるもの)で、その手の物語に期待される要素はないとの断り書きが繰り返されます。この話には、「大切な人生の教訓」や「知られざる愛の真実」はなく、自分は女の子の死から学ぶことはなにもなかったのだと断言します。
物語のはじめの方で、グレッグの華麗な失恋歴が自虐的に披露されます。ある作戦では、好きな子の気を引くため別の子をかまって嫉妬を誘おうとしました。その作戦でおとり役にされたレイチェルという子が白血病になり、物語のヒロインとなります。
レイチェルが白血病になったという情報は、母親からもたらされます。そして母親はグレッグに、しばらく疎遠になっていたレイチェルに連絡をとるように指示します。確認しておきますが、グレッグは高校生で、小学生でも幼稚園児でもありません。高校生が母親から「かわいそうな近所の子と仲良くしてあげろ」と命令されるのです。なんという笑えないシチュエーションでしょうか。
グレッグはもともと映画を作る子でした。創作者気質の子が書いた小説がこの作品だという設定になっているので、かなり肥大した自意識がみられます。ベタな物語を拒否しようという態度も自意識のなせるわざです。しかし、ベタな物語の引力は強力で、そこに引っ張られそうにもなります。とはいえ、引っ張られたとしてもベタな美談は非リア男子には簡単に手に入るものではなく、向こうから拒絶されてしまったりもします。自意識の物語として非常に痛々しく、痛々しいがゆえに優れたYAとなっています。

(ちょっと思ったんだけど、「fin」の意味を知ってる人なんかいないよな。映画用語なんだけど、具体的にフランス語でこんな意味。「映画が終わってよかったね。なにがいいたいのかさっぱりわかんなかったでしょ。だって作ったのはフランス人だもの」)
(p9)