『嘘の木』(フランシス・ハーディング)

嘘の木

嘘の木

人は動物で、動物はただの歯だ。先にかみつき、食らいつけ。それが生き残る道なのだ。
(p302)

イギリスの理系少女のフェイスは、博物学者である父エラスムスを神のように崇拝していました。しかし化石の捏造疑惑というスキャンダルに見舞われて父は失脚、逃れてきた島でもさっそく村八分にされます。やがて父は謎の転落死を遂げます。この死は自殺として処理され、それは神の意に反する罪なのでまともに埋葬すらされないという侮辱を受けます。フェイスは父は殺されたのだと確信し、父の秘密の研究「嘘の木」を利用して真相究明と復讐を成し遂げることを誓います。
フェイスにとって父は信仰の対象ですが、同時に抑圧者でもあります。時代はダーウィンが『種の起源』を発表した直後。女性が知性を求めるのは罪とされていた時代です。女性の方が頭蓋骨が小さいのだから知性で劣るのは科学的事実だというのが、当時の常識でした。父も女性の知性を認めず、フェイスは隠れて知を探求せねばなりませんでした。フェイスは、自分とは逆に美貌だけを武器に世渡りしている母を軽蔑していました。フェイスは厄介なエレクトラ・コンプレックスを抱えています。
復讐のためにフェイスが頼ったのが、「嘘の木」という奇妙な生態を持つ木です。父の研究によると、その木は嘘を養分として生長し実をつけ、その実を食べた人間に真実のヴィジョンを見せるのだといいます。フェイスは父の幽霊が出現したという嘘を手始めに島に嘘を蔓延させ、「嘘の木」の力も利用しつつ真犯人を炙り出そうとします。狡猾な計略で他人を陥れ自分の目的を果たそうとするフェイスの姿は悪役じみてもいますが、その機知と闘争心の強さが魅力でもあります。そもそも、嘘を広めることにより真実が得られるという作中ルールが、あまりにも凶悪です。これは禁断の実であり、いうまでもなく人類の原罪の象徴です。
しかし、時代はダーウィンを通過しています。あらゆる神話は解体されるのが、時代の流れです。神は殺害されなければなりません。暴かれる残酷な真実もあり、秘匿される真実もありますが、人は理性の光に照らされた道を歩いていくしかありません。
エレクトラ・コンプレックス、フェミニズム、人類の原罪、神話の解体、語るべき要素が盛りだくさんの作品です。それでいて、ミステリやサスペンスとしても完成度が高く、エンタメとしても読ませてくれます。この作品は2015年のコスタ賞児童文学部門を受賞し、同賞の全部門最優秀賞にも選ばれています。これは、フィリップ・プルマンの『琥珀の望遠鏡』と同じ高評価を受けたということになります。この高評価もうなずけます。今年日本に紹介された翻訳児童文学のなかでもベスト5に入ることは確実でしょう。