『キズナキス』(梨屋アリエ)

梨屋アリエによるディストピア百合SF児童文学。マインドスコープと呼ばれる人の内心を言葉に翻訳する装置が普及している世界を舞台とし、〈ICT絆プロジェクト〉なる教育活動の推進校で吹奏楽部に所属する中学生日々希の周囲との軋轢が描かれます。
眉村作品を思わせる往年のジュヴナイルSFテイストな道具立てが楽しいです。謎の美少女転校生、学校に入り込んで暗躍する怪しげな青年といった役者たちが、陰謀めいた作品世界を盛り上げていきます。転校生天狼朱華は、マインドスコープを無効化するプロテクターをひとり使用していたので、当然のように集団から疎外され、いつもひとりでパソコン室に入り浸っていました。実は朱華は、パソコン室でマインドスコープのデータをはじめとするクラウドに上げられた個人情報を盗み見していました。日々希はその秘密を知ってしまい、なにかと朱華と関わるようになります。
吹奏楽部は顧問不在になっており、活動が行き詰まっていました。そんな折、吹奏楽部OBだという黒橡虹と名乗るミステリアスな青年が現れます。彼は弛緩した練習中にみごとな指揮を見せ部員たちの心をつかみ、劇的に登場します。やがて彼はICT支援員として学校に入り込み、人の魅力を操作する装置を校内にばらまいて人間関係を混乱させたりと、不気味な行動をします。
吹奏楽の同級生グループ内での日々希は、天然キャラを演じています。グループの中心的存在の桂奈はマインドスコープを頻繁に使っていました。日々希は桂奈にマインドスコープを向けられるとわざと食べ物のことなどを考えたりして、自分は無害な存在であるとアピールしていました。ほかのグループのメンバーも桂奈に反感を持ちつつも揉め事を起こさないようにふるまっています。個と集団の関係の厄介さめんどくささがこれでもかと描かれます。
一方で、日々希と朱華の関係は個と個、一対一の関係です。ふたりだけの秘密の居場所でふたりだけの秘密の時間を共有し、ふたりだけの世界のアートを作り上げていきます。この関係には依存性があります。ふたりの関係はどんどん深まり、同時に危うさも高まってきます。
謎めいたジュヴナイルSFであり、甘くて痛い恋愛小説でもあるこの作品ですが、本質はリアリズム児童文学です。〈絆〉という言葉で人を縛り付け支配すること。膨大な個人情報を集めて人の内面や行動をコントロールしようという発想も、もはやSFの世界のことではなくなっています。そして、保護者に保護されていない子どもは誰からも守られず、最悪の場合自分を売るしかないというのも、この国の現実です。実はこの作品は、憂鬱なくらい現実のことしか描いていないのです。そういう意味では、上野瞭の〈ちょんまげもの〉めいた手法が使われているともいえそうです。
梨屋作品としては、『スリースターズ』と並ぶ危険物として語り継がれていきそうです。問題作であり、今年の児童文学界の最大級の収穫でもあります。