『凍てつく海のむこうに』(ルータ・セペティス)

凍てつく海のむこうに

凍てつく海のむこうに

ヒルのちびちゃん、どの子もお顔が水の中
お顔が水の中
(p356)

第二次世界大戦末期、ドイツは東プロイセンから住民を避難させるハンニバル作戦をおこないました。一万人を超えるといわれる避難民を収容したヴィルヘルム・グストロフ号は、ソ連の潜水艦の魚雷によって沈没してしまいます。2017年のカーネギー賞を受賞した『凍てつく海のむこうに』は、犠牲者数ではタイタニックをもはるかに超えるこの海の悲劇を元にした歴史ドラマです。著者は、リトアニアの亡命者を父とするアメリカ出身の作家です。
リトアニア人の看護婦ヨアーナ・東プロイセン人の絵画修復士フローリアン・ポーランド人の妊婦エミリア・ドイツ人の水兵アルフレッド、4人の若者が小刻みに語り手を交代する形式になっています。そのため、序盤は人物や状況を把握するのに少々苦労します。しかし、それでも読者を引きつける工夫がたくさん凝らされているので、ぐいぐい読まされます。
語り手ははじめに、「罪悪感は狩人だ」「運命は狩人だ」「恥は狩人だ」「恐怖は狩人だ」と語りだし、それぞれ抱えている秘密を暗示します。それが多視点から徐々に明かされていく構成がうまいです。
登場人物のなかには思い込みの激しい人物もいて、その人物の語る内容を別の視点からみるとまったく違う現実がみえてくるということも多く、多視点の作品ならではの仕掛けが充実しています。
たとえばエミリアは、ある人物のことを現実離れした英雄視して「騎士」と読んでいたりします。もっとも危険にみえるのは熱烈なヒトラー信奉者のアルフレッドです。ハネローネという女性にあてた彼の手紙だかなんだかが書体を変えて何度も出てくるのですが、これがなんともいえない怪文書。おそらく本当の現実と乖離した世界を生きているのであろう彼のエピソードは、サイコホラー的に楽しむこともできます。
そして、約束された悲劇まで物語は一気に加速していきます。描写力も優れていて、海に誰かの入れ歯が浮かんでいるなどという細かい記述によって、遠い過去の悲劇が現実感を持って迫ってきます。
ということで、非常にエンターテインメント性の高い作品なのですが、この作品は戦争児童文学でもあります。あとがきには、戦争の犠牲者の〈声〉や〈記憶〉を伝えようという意図が語られています。切り替えの早い語り手交代という手法で読者に〈声〉を意識させるとには成功しています。娯楽性の高さで、物語として〈記憶〉を伝えることも達成しています。カーネギー賞受賞という高評価も理解できます。
ただ、戦争をこのようにエンターテインメントにしてしまうということに屈託も感じてしまいます。戦争の悲劇を、タイタニックのようにメロドラマとして消費していいのか(そういうと、タイタニックだったらいいのかという話にもなってきますが)。このあたりは、日本の戦争児童文学も考慮して議論していく必要があると思います。