『ここよりさき、野球村』(今岡深雪)

ここよりさき、野球村 (旺文社創作児童文学)

ここよりさき、野球村 (旺文社創作児童文学)

「でも、アンなんていないのに。」
「ちがうわ。信じる人がいるかぎり、アンは存在するのよ。」
(p66)

1983年、旺文社刊。海を埋め立て開発が進む千葉県市川市南部に引っ越してきた小学5年生の少年渉の物語です。引っ越しの2年前に渉は、父の友人の建築家タケおじさんに連れられてこの周辺の埋め立て地のはらっぱを訪れていました。緑と青空が広がるはらっぱでは、青いユニフォームを着た人々が野球をしていました。いまとなっては夢とも現ともつかないその野球村を探そうと渉は町をめぐります。プリンスエドワード島に憧れるセイタカアワダチソウの精のような地元民の少女サエも仲間に加わりますが、捜索は難航します。
サエをナビゲーターとして、当時の地域の情勢も明らかになり、社会派児童文学の様相も呈してきます。新興住宅の住民が地元民を〈ゲンジュウミン〉と呼んで蔑んでいるとか、地元民も土地を売って儲けた者とそうでない者の間で分断が起きているとか。そういった世知辛さは、人の世の移ろいやすさとはかなさをしっとりと描き出すとともに、野球村というユートピアの輝かしさを引き立てる役割も果たしています。
そして、苦労の果てに辿り着く野球村の美しいこと。ジャングルのようなセイタカアワダチソウの茂みを抜けると、無心に野球を楽しむだけの空間が広がっています。さらには、埋め立てられ死んだ海がよみがえり、「ふたりがかきわけてきたかれ草の海には、虫や魚が、生きはじめていた(p133)」という奇怪な現象まで起こるのです。
その後まぼろしのはらっぱに再び赴くと、そこは工事中になっており、作業していた男は「日本一広い、遊園地ができるのさ」ともったいぶって話します。ユートピアの夢の跡に資本主義という現実のうえに成り立つ夢の国ができるというのは、なんとも皮肉です。
幻想的なユートピアを描いた美しい児童文学として記憶されるべき作品です。