『ふしぎ古書店7 福の神の弟子卒業します』(にかいどう青)

本とミステリと百…友情と幸福をめぐる物語「ふしぎ古書店」シリーズが完結。最終7巻には中日こどもウイークリーに連載されていた「笑うアマノジャク」と最終エピソード「なんでもない一日」の2作が収録されています。
「笑うアマノジャク」は、ひびきがクラスのキラキラグループに囲まれて絵理乃を奪ったと言いがかりをつけられていたぶられる話です。いつかは絶対あるだろうと予想されたエピソードですね。その後キラキラグループのひとりがひびきに謝罪の手紙を渡しますが、その中身を見た絵理乃はいきなり手紙を破り捨ててしまい、ひびきは初めて絵理乃に不信感を抱くことになります。
ミステリとしての仕掛けは傍目八目ではありますが、絵理乃の正義感とひびきへの思いの強さに胸を打たれます。ひびきと絵理乃はお互いに思いあっているのに、相手が自分のことをどれだけ好きなのかということは全然わかっていません。そこがじれったくもあり、ほほえましくもあり、ふたりにはいつまでもこの関係を続けてもらいたいと思います。
最終回「なんでもない一日」でひびきは、アメリカの大学に職を得た両親に同居するように誘われ、アメリカに行くか日本でいまの生活を続けるかの決断を迫られます。一方福神堂では、塔のように本が積まれその上に檸檬が置かれるという怪事件が起こります。
このシリーズではすでに、最終回っぽいエピソードが2回語られています。すなわち、1巻3話と3巻3話です。そしてそれは、ハッピーエンドではありません。1巻3話のひびきの最後の言葉「さて、ちょっとばかり、しあわせになってみようか。」に象徴されるように、しあわせになるために自分で選択して決断することが重要なのです。読者はそこに、最終回っぽさを感じています。
7巻2話では、選択の責任を他人に押し付けようとするダメな大人との対比により、ひびきの主体性が強調されます。人生は主体的に選択することの繰り返しです。だからハッピーエンドはありません。タイトルの「なんでもない一日」は、文字通り「なんでもない一日」であり、だからこそ「かけがえのない一日」でもあります。やはりこれこそが「ふしぎ古書店」シリーズらしいエンディングのあり方なのでしょう。約2年という短い期間を駆け抜け全7巻できれいに完結したこのシリーズは、青い鳥文庫史上に残る傑作として語り継がれていくはずです。
以下作品の結末等に触れますので、第7巻及び第7巻のキーとなる工藤直子の『ともだちは海のにおい』を未読の方は読まないでください。





ともだちは海のにおい (きみとぼくの本)

ともだちは海のにおい (きみとぼくの本)

ということで、ひびきの物語としてはきちんと完結した(していない)のですが、もうひとつ気になるのはひびきと絵理乃の物語のとしての「ふしぎ古書店」シリーズです。結局ひびきは、絵理乃の気持ちなんか全然わかっていない薄情なやつだったのでしょうか。そんなはずはありません。
アメリ渡航問題で悩んでいたひびきは、『ともだちは海のにおい』を再読します。初読時は「おとなが名作って言ってるものなんて、そんなもんだよね」という感想だったのに、まったく印象が変わってしまいます。読む年齢、読むタイミングによって感想が変わるのも、本の楽しみのひとつ。そんな読書の醍醐味をさりげなく伝えているところは、やはりこのシリーズならではの魅力です。
『ともだちは海のにおい』は、「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとお茶を飲みたくなる」といういるかと、「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとビールを飲みたくなる」というくじらの友情物語です。広い体育館のような家でいつもトレーニングをしている体育会系いるかと、口の中に大きな書庫を持っている文系くじら。似たところも異なるところもあるふたりの絆がしっとりと描かれます。
ひとりでパリに旅行したくじらが熱を出して寝込んでしまうエピソードを読んだひびきは、そこに「わたしが心の底からほしいと思っていて、どうしても生みだせなかった言葉」を発見します。本文中では特定できませんが、「福神堂の本棚」での発言から、絵理乃のことを思ってひびきはこの言葉に感じ入ったものと推察されます。
そういうわけで、ひびきと絵理乃の幸福な関係はこれからも続いていくものと信じることにします。
野暮の極みですが、以下にそれと思われる部分を記しておきます。未読の方は絶対見ないようにお願いします。


(いちばん……手をにぎって……もらいたい……ひとって……いちばんすきな……ひと……の……こと……なんだな)
工藤直子『ともだちは海のにおい』(理論社名作の森版)p68)より