『フローラ』(エミリー・バー)

フローラ (SUPER!YA)

フローラ (SUPER!YA)

イギリスの17歳の女子フローラが、好きになった男子ドレイクを追ってひとりで北極まで行く話です。フローラは前向性健忘症で記憶を保持することができませんが、なぜかドレイクとキスした記憶だけは強烈に覚えており、ドレイクを捜す旅は自分の本質を探る旅となります。でも、ただでさえ17歳の女子がひとりで遠い外国を旅するのは大変なのに、記憶障害まであるので、ドレイクの捜索は困難を極めます。
そもそもドレイクはフローラの親友の恋人で、どうも記憶が残らないから後腐れないだろうというくらいの軽い気持ちでフローラに手を出したクズ男のようです。だから、ドレイクとの再会を果たしたとしてもハッピーエンドは訪れそうにありません。しかし作品は、恋の物語から別の方向に転がっていきます。
前向性健忘症の人物が登場する有名作品といえば、『博士の愛した数式』や『僕は何度でも、きみに初めての恋をする。』あたりが思い浮かびます。そういった作品は喪失の痛みや悲しい恋など、センチメンタルな雰囲気を基調としています。しかし、『フローラ』はだいぶおもむきが異なります。知識や経験を当てにすることができないので、フローラは欲望の赴くままに行動します。どんな過酷な環境もものともせず、ただ自分の恋をかなえたいという一心でフローラは暴走します。その熱情の前では、シロクマすら恐るるに足りません。荒々しい野生児のような魅力を、フローラは持っています。
語り手が記憶を保持できないので、作中では同じような内容が何度も繰り返されたりします。筒井康隆の『ダンシング・ヴァニティ』のように、繰り返しによる幻惑感を読者に与える文体となっています。フローラが語り出すと、微妙に前と言っていることが異なっているような部分があったり、状況が一層悪化しているように見えたりと、読者を驚かせる要素がちりばめられています。語り手の設定はエンターテインメントとしても絶妙に処理されています。
最終的な物語の帰着点を語ることができないのがもどかしいですが、スリルに満ちた読書体験を得られることは保証できます。