『4ミリ同盟』(高楼方子)

4ミリ同盟 (福音館創作童話シリーズ)

4ミリ同盟 (福音館創作童話シリーズ)

ある地方に住む人々には、大きな湖に浮かぶ小島〈フラココノ島〉に実る習慣性・依存性のある果実〈フラココノ実〉をたしなむ習慣がありました。この実の〈食べ時〉が訪れないことには〈フラココノ島〉に到達することすらできず〈フラココノ実〉を食べることができないので、子どもたちはその日が来ることを心待ちにし憧れを募らせていきます。ところがこの物語の主人公ポイットさんは、48年も生きているのに〈食べ時〉にならず、何度も〈フラココノ島〉への渡航に失敗し続けていました。ある日ポイットさんはエビータさんという中年女性と出会い、自分も〈フラココノ実〉を食べていないということ、それを食べていない人間は4ミリだけ宙に浮いているのだということを聞かされます。ふたりは4ミリの仲間を集め、協力して〈フラココノ島〉を目指そうと取り決めることになります。
〈フラココノ実〉を食べるということは、ある種の通過儀礼の象徴なのでしょう。スタンダードな成長物語であれば、当然4ミリの仲間たちは〈フラココノ実〉を手に入れまっとうな大人になることに成功するものと期待されます。しかし、この本の著者は高楼方子です。彼女のデビュー作『ココの詩』は、恋に囚われたヤンデレ人形がある手段で世界を閉ざすという、アンチ成長物語の極みのような作品でした。一筋縄ではいきそうにありません。
ふたりは、批評家から〈何かが足りない〉と指摘されている画家のバンボーロさんを勧誘します。しかしバンボーロさんは、自分の現状を肯定して仲間になることを拒否、さっそく〈フラココノ実〉は食べるべきであるという価値観は揺さぶられます。しかもバンボーロさんは、ひとりになってから唐突に気分が変わって、ふたりに協力することになります。読者はふりまわされるばかりです。
結局、4ミリの仲間たちに足りないものはなんなのでしょうか。作中で明言されているのは、4ミリたちには〈学ぶ〉ということがないということ、4ミリたちの周囲には〈うふふ〉という空気が満ちているということです。
で、着地点はそうきますか。やはり高楼方子は悪い作家です。だからこそ、児童文学界には高楼方子が必要です、