『わたしが少女型ロボットだったころ』(石川宏千花)

結婚歴なし子持ち45歳と独身33歳が、ろくな将来設計もなくぐだぐだ関係を続けているダメダメな社会人百合。こういうのが平然と児童文学で描かれる時代になりました。時代はよい方向に進歩しています。
中学校卒業間近の多鶴は、朝食のオムレツに箸を入れた瞬間、自分が人間ではなく少女型ロボットであったことを思い出します。であるなら自分には食事は必要ないと、母親に訴えます。母親はかなり年下の彼女の〈いっちゃんさん〉に「多鶴がわけわかんないこと言ってる」と話しかけ、多鶴はもう自分と母親だけの秘密は存在しないのだと悟ります。多鶴はものを食べられなくなり、だんだんやせ衰えていきます。
常識的に考えれば、多鶴の症状はありふれた摂食障害です。しかし多鶴は、自分が少女型ロボットであることを母親が認め適切な操作をすれば問題はないはずだと信じています。
世界は適切にコントロールされているはずだという信念は、幼児的全能感の裏返しでもあります。そのゆがみに混乱させられる思春期の危機を描くための設定として、〈少女型ロボット〉というアイディアは秀逸です。
結末をあのようなかたちにしたことには、冒険心を感じます。ただし、女子を救うのは結局人気のある男子との恋愛であるとしているかのようなところには、女子に無用の呪いをかけているのではないかとの懸念が持たれます。