『むこう岸』(安田夏菜)

むこう岸

むこう岸

門中学校でドロップアウトし家から離れた公立中に転校した山之内和真、生活保護家庭で母が精神を病んでいるためほぼひとりで幼い妹の世話をしている佐野樹希、接点のなかったはずのふたりが「居場所」という名のカフェを媒介としてつながります。
思いがけないなりゆきで樹希に借りをつくってしまった和真は、「居場所」で勉強の苦手な少年アベルの家庭教師役をやるよう強要されます。勉強ができるがゆえに公立小では孤立し、進学校では逆についていけず脱落してしまった和真にとって、その関係がはじめて得た自分の存在意義を確認できる「居場所」となりました。和真は樹希の置かれている環境について調べ、それをきっかけに樹希も自分の将来に希望を持てるようになります。
『むこう岸』という分断を表すタイトル、「居場所」というそのままの店名。このようなあまりに直截な名づけは、著者にとって勇気のいる決断だったのではないでしょうか。この国の現状をリアルに描くことをひとつの使命としているこの作品では、そういった名づけは有効に機能しているしているように思われます。
この作品に出てくる主要な登場人物のなかで生粋の悪人といえるのは、和真の両親くらいでしょう。あのカタストロフィをもたらした人物も、悪人というよりケアを必要としている人物です。樹希の家庭を弾圧しているかのようにみえた生活保護担当の行政職員も、過酷なブラック労働と感情労働で疲弊した被害者であり、可能であれば善をなしたいという気持ちを持っています。作品が暴いているこの社会の問題は、あまりの余裕のなさです。一部の富裕層を除いた社会のほとんどが疲弊しており、適正な再分配はなされず、社会を支えるためのセーフティーネットを機能させることができなくなっているのです。
生活保護制度に興味を持った和真は、図書館に行きます。これは中学生の選択としては最善に近いものでしょう。しかし図書館の職員はおおよそ中学生には読みこなすことが不可能な『生活保護手帳』を手渡すだけでした。中学生が調べ物の相談に来たら、図書館職員はこれこそ腕のみせどころとはりきるはずです。おそらくこの職員に資質や能力がなかったということではないのでしょう。この図書館にも余裕が欠けていたのだと思われます。作品は、この国ではすでに図書館も破壊されつつあるという悲しい現実も描いています。