『つくられた心』(佐藤まどか)

つくられた心 (teens’best selection)

つくられた心 (teens’best selection)

「監視カメラや盗聴器、スパイではありません。あくまでも〈防犯カメラ〉、〈防犯用集音マイク〉、〈見守り係〉ですので、お間違えのないように」(p6)

政府の主導する「理想教育モデル校」が舞台となるディストピアSF。その学校では監視カメラや盗聴器で生徒のすべてを監視し、ガードロイドと呼ばれる監視用アンドロイドを生徒にまぎれこませて、安心して学校に通える仕組みが整備していました。生徒がガードロイドを探ることは禁止されていましたが、この場合禁止はどんどんやれと同義です。新入生たちは喜々としてガードロイドの正体暴きの探偵ごっこをはじめます。
人のプライバシーを暴くことは人類にとって至高の娯楽、しかもそれは差別していい相手を暴く正義の活動なのですから、そりゃ楽しいに決まっています。いかにもロボットっぽいやつが怪しいとか、いや逆にそういうやつは怪しくないとか、ガードロイドの家族役は演技ができる人がやっているはずだから親が演劇関係者のやつが怪しいとか、愉快な推理合戦が繰り広げられます。ゲスですばらしい相互監視ディストピア。ということで、こういう設定の話はわたしの大好物のはずなのですが、よくわからないところがあったので以下に疑問点を書いていきます。作品の結末に触れているので未読の方はご了承お願いします。







この作品、あまりにも説明不足で作中のロジックがどのようにつながっているのかがわかりにくいです。疑心暗鬼による相互監視が克服され学校の雰囲気がよくなっている理由がよくわかりません。それが政府の意図通りなのかそうでないのかも判然としません。
監視社会・ロボットの心や人権問題・ロボットによる人類の支配とさまざまな論点が提出されますが、それぞれの論点のつながりもわかりにくいです。作品の最後はロボットが支配する社会への警鐘を鳴らして終わります。これの唐突感が否めません。監視社会は現実と地続きの社会問題ですが、ロボットによる支配に至るまでには何段階か飛躍があります。作品の終盤にあるようにロボットに心があると認めるのであればべつに問題はないはずですし、それを問題にするのであればガードロイドがすでに人類の思惑を超えてなにかをしたというエピソードを気持ち悪く描かなければならないはずです。飛躍はきちんと埋められているのでしょうか。
読者にさまざまなことを考えさせたいという意図はあるのでしょうから、ガードロイドの正体など多少ぼかしているところがあっても欠陥にはなりません*1。ただし、作中の論点や論理展開の整理が粗雑だったのだとすれば、それは読者をいたずらに混乱させるだけです。そのあたりが成功しているのかどうかわたしにはよく読み取れなかったので、きちんと読めている方に解説していただきたいです。

*1:ガードロイドが誰なのかということについては、最終盤にあのような情報を出したことから、あいつを疑えと誘導しているのであろうということは予想できます。