『海のコウモリ』(山下明生)

海のコウモリ

海のコウモリ

朝鮮戦争の時代、人の鼻を噛んで殺す〈ハナクイ〉という連続殺人鬼の噂で持ちきりになっている瀬戸内海の島を舞台にした物語です。
主人公の9歳の少年は、〈ハナクイ〉に襲われたと思いこんで逃げているうちに竹のクイに鼻をしたたかぶつけて気絶してしまいます。そこを、聾唖者で島のはぐれ者のヒデヤスに助けられます。ところが、そのことを仲間に話してからからかわれているうちに、こともあろうに〈ハナクイ〉の正体はヒデヤスではないかという疑惑を口にしてしまいます。子どもたちは調子に乗って〈ハナクイ〉退治を計画。それは、伝馬船でヒデヤスのいる洞窟に行って石を投げ、ヒデヤスが出てきたら棒で殴って半殺しにして投げ縄で生け捕りにしようという、残忍きわまりないものでした。
ストーリーを要約すると、「少年が被差別者に冤罪を押し付けた挙げ句リンチまでして、最終的に被差別者は……」という、まったく救いのないものになっています。
〈ハナクイ〉の正体は最後まで明らかになりません。物語の冒頭では、島に伝わる鬼やテングやエンコ(かっぱ)やコートリ(子どもさらい)といった化け物について言及されています。また、〈ハナクイ〉の犯罪のうち女性が被害者になっているものは、米兵による犯罪なのではないかと予想する人物も登場します。そして、子どもの心のなかにも悪は存在します。空想上の化け物も正体不明の殺人鬼も現実に存在する様々な悪も物語の中でとけあって、この世には悪が偏在しているという漠とした不安なイメージが残ります。
島の子どもたちの遊びや島の情景は情緒的に描かれている一方で、子ども間のシビアな力関係などはリアルに描かれています。宇野亜喜良の耽美的なイラストも作品世界を彩っています。情緒面で捉えても現実的に捉えても、どちらにしても濃密な印象を残す作品になっています。