『しずかな魔女』(市川朔久子)

しずかな魔女 (物語の王国 2-13)

しずかな魔女 (物語の王国 2-13)

「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。」という鎌倉市図書館のツイートが話題になったのは2015年のことでした。この作品の主人公の中学1年生の草子は、どこかでそれに類する呼びかけを目にして、平日は公共図書館に通うようになりました。そこの司書の深津さんから「しずかな子は、魔女に向いている」という謎めいた言葉をお守りとして渡されます。その意味を詳しく知りたくなった草子は、深津さんにレファレンスを依頼します。
西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女はとっくの昔に死に、本を司っているのはおおよそ役に立ちそうにないきかせたがりやの魔女だけ。
きかせたがりやの魔女

きかせたがりやの魔女

そういう現代の子どもは、どうやって魔女修業をすればよいのでしょうか。深津さんは草子に、『しずかな魔女』と題された、おそらく実体験に基づく自作小説を渡します。この作中作が作品の中心となります。そこに書かれていたのは、野枝という小学4年生の少女の夏の物語でした。やはり「しずかな子」であった野枝は、ひかりという少女となかよくなり、そのおばあちゃんのユキノさんから魔法を教えてもらうことになります。
ユキノさんは、他人の体や心を操る魔法を使っては行けないと厳しく戒めていました。うっかり読むと、野枝の行動も他人の心を動かしていたようにみえます。ユキノさんが禁じていたのは、「魔法」という強制力をもって人を支配することであって、野枝の行動のようなものはそれにはあたらないということなのでしょう。ここでの邪悪な魔法は、強制力を持つ制度や権力を指しているようです。であるなら、この物語を読むことで草子がそういったものから解放される展開は、希望と読めそうです。気になるのは、なぜこの物語が作中作という構造を持っているのかということです。最近出た小手鞠るいの『少女は森からやってきた』も似たような趣向になっていました。こちらは学校司書が子どもたちに向けて自分の過去を語って聞かせるという設定になっており、その内容が神聖なまでに輝かしい女子ふたりの友情の物語であったということも共通しています。「物語」というもの自体が家でも学校でもないサードプレイス、退避場所であるということを示してはいるのでしょうが、実力派のこのふたりの作家がほぼ同時期に似た趣向の作品を出したということには、もっと大きな意味がありそうです。