- 作者:村上 しいこ
- 発売日: 2020/06/16
- メディア: 単行本
この母親の問題点は、理論と感情の乖離・理論と行動の乖離にあります。母親は性差別問題について語るさい、口先では男性との対立をあおるつもりはないと言ったり、DV加害者は男性だけではなく女性もいることに言及したりと、中立を装い自身の男性への憎悪を隠しています。しかし実際は、レイプやデートDVやリベンジポルノという言葉を娘に浴びせ、ミサンドリーを植え付けようとしています。
母親は、美桜里が口答えをしようとすると、「反論するなら、ちゃんと意見を用意しときなさい。気分でしゃべらないこと」と威圧します。その一方で、「そういう差別的な感情もひっくるめて、私の感情だから。それを認めないから病気になるの
」と、自分が気分で立場の弱い人間に差別的に振る舞うことは正当化します。こうした矛盾した態度で、理屈と感情の両面で威圧されたら、逃げ場がありません。
母親が主催するデモが、作品のひとつの山場になります。これは、公衆の面前で被害者にトラウマ語りをさせるというものでした。被害を訴えるという運動にはもちろん意義はありますが、カウンセラーである母親にこの方法の危険性がわかっていないはずがありません。しかし母親は、自分のクライエントを動員してレイプ被害を語らせます。
傷ついた女性を救いたいという母親の信念はおそらく本物なのでしょうし、そのフェミニズム思想もおおむね正しいものなのでしょう*1。しかし母親は、人を救うためのものだったはずの思想を、人を支配するための道具にしてしまっています。結果として母親は、まるでカルトの指導者のようになっています。
正しいだけでは正しくあれないという、人間の複雑さを暴き立てた文学としては興味深いです。しかし、子どもの立場からみればこの母親と生きていくのはしんどいことこの上ありません。美桜里は母親に、「あたしは洗脳されないから。買収なら喜んでされるけどね」と宣言します。このたくましさは頼もしいですが、子どもにここまで言わせてしまう状況はやりきれません。