『雷のあとに』(中山聖子)

雷のあとに (文研じゅべにーる)

雷のあとに (文研じゅべにーる)

これまたいやな感じの毒親児童文学が出てきました。5年生の睦子が、2年生の時に自分の名前の由来を調べる課題を出されたことを思い出すエピソードから物語は始まります。母が語るには、兄の貴良と仲良く育ってほしかったからということで、まるで自分には兄の付属品としての価値しかないかのように思わされてしまいます。とにかくこの母親は支配的で自分の言いたいことを一方的にまくしたてるくせに言葉が足りないというコミュニケーションが不可能なタイプで、母親の所業をみているとどんどん気分が落ち込んできます。
そんな睦子でしたが、亡くなったおじのハルおじさんの家を待避場所としていました。ハルおじさんは建築士をしていて、家には住宅の模型がたくさんあり、睦子はそれを眺めて過ごしていました。皮肉なことに、浮世の義理で睦子の家の設計はハルおじさんに依頼することはできませんでした。模型を眺める睦子は、自分には得られない幸福な家庭のモデルを見せられることにもなるわけで、これはなかなか酷な状況でもあります。当然、このアジールもやがて奪われることになります。母親は防犯上の都合という大人の理屈ではまあまあ正当性のある根拠を持ち出し、睦子を追い出そうとします。
さて、非常に重苦しい話なのですが、作品は地道な改善策を探ろうとします。自分を「真面目」と評されることを嫌がっていた睦子は、辞書で「真面目」の意味を引き、そこには本来ポジティブな意味しかないことを発見します。ささやかな発見ではありますが、この発見による世界の見方の変化は劇的です。また、兄の貴良による母親を「前向きにあきらめる」という選択も、地味ながら世界を大きく読み替える力強いものになっています。この地に足のついたところが、この作品の美点です。