『拝啓パンクスノットデッドさま』(石川宏千花)

放置子+ヤングケアラーという、現代貧困児童文学の最前線のような作品が登場しました。高1の晴己は、中2の弟の右哉とふたりぐらし。母親はめったに家に寄りつかず、ふたりの父親は誰なのかもわかりません。若いころから母親に片思いしているしんちゃんと呼ばれるフリーターの男性によく面倒をみてもらっています。兄弟はしんちゃんの手ほどきでパンクをたしなんでおり、バンドをつくろうとしていました。しかし、極端にこだわりの強い弟のためになかなかうまくいきません。
右哉は自分と晴己の関係を、ゴッホとテオになぞらえます。これは晴己にテオのように生涯自分に奉仕せよと迫っているようで怖いです。だからといって、弟を見捨てるべきだというわけではありません。まともな公の支援のない状態でこの弟を支えようとすれば共倒れになるのは目に見えているので、この状況を放置してはならないのです。
この発言を聞いた晴己は、むしろ右哉が自分に「〈母親が帰ってこないうちの兄〉っていう役割をあたえてくれていた」ことに感謝します。それだけでなく、晴己は終盤、周囲の人々への圧倒的感謝を表明します。この様子が不気味です。
「自分を大事にしてくれる大人はちゃんといた」と、しんちゃんやこっそり食事を与えてくれた保健室の先生に感謝します。さらには、自分たちのためにわずかなお金を用意していたことがわかったというだけで、母親すら許してしまうのです。もはや彼の思考は、「あの人は毎日わたしをたたくけど、本当は優しい人なの」と言い張るDV被害者のようになっています。
現在の日本のような公助の乏しい世界では、弱者は自助共助という幻想に溺れ(脳内で)ハッピーになるしかありません。晴己はそうした幸福を手に入れたので、この作品はおそらくハッピーエンドなのでしょう。
現政権の支持者が読めば、これは政権の指示に忠実に従って自助共助に励む若者を描いた道徳的な作品と受け取るのかもしれません。しかしそうでない人が読めば、いまここにあるディストピアを描いたホラーにしか思えません。非常にシニカルな作品でした。