『クルミ先生とまちがえたくないわたし』(令丈ヒロ子)

しっかり者のモトキは、父親とふたり暮らし。小5から小6の春休みに父親に4日間の出張の予定が入りました。そんなときはいつもおばあちゃんに預けられることになっていましたが、いまは入院中。そこで、父親のいとこで医者のクルミ先生に預けられることになります。モトキはドラマに出てくるような「白衣の似合うクールな美人ドクター」をちらっと妄想していました。しかし迎えに来たのはロン毛のチャラいお兄さん看護師で、草木が生い茂っているクリニックには昔の字で「醫院」と書かれてるのでなんか怖い。そして肝心のクルミ先生は、ボサ髪で大口を開けて寝ていて「おなかすいたお……」と寝言を言っているという有様。モトキのドリームはすぐに粉砕されてしまいます。
見た目はアレなものの無骨なサムライスタイルで仕事に取り組むクルミ先生に、モトキはすぐに惚れこんでしまいます。クリニックが経営難であることを知ったモトキはポスターを作るなどしてクリニックを再生しようとします。しかしポスターの文面に病気が治ることを確約するような表現をするのはダメと全否定されてしまったことから、モトキの「まちがえたくない」心性が爆発してしまいます。
ワンミスで全てが終わってしまうと思ってしまうのは、子どもならではの視野の狭さによるものです、さらにモトキの場合は、周囲の環境にワンミスが許されないと思いこまされている面もありました。こうした子どもの思考の極端さに踏みこんでいく令丈ヒロ子の観察眼はさすがです。
さて、作品は他の令丈作品と同様、現実的な調整の積み重ねで問題を解決していく方向に進みます。そして、ワンミスが人の死につながってしまう医者という職業の職業倫理という難しい問題にも、平易な言葉で取り組んでいきます。令丈作品は情緒よりも合理性を優先させるので、こういったデリケートな展開も安心して読み進めることができます。
作品世界の価値観はフラットです。クルミ先生の家事能力の欠如は女子力の欠如などとはされませんし、彼女が栄養摂取に効率のよいミックスサンドを好むことも克服されるべき貧しい価値観とはされません。作中にはひとり親家庭の父親や男性看護師といったマイノリティも登場しますが、彼らも特に意味づけはされず、ただそこに存在するだけです。ここではスキルもただのスキルでしかありません。スキルはあれば便利なのは確かです。ただし、なければ人としてダメといった価値判断はされません。
こうした合理性が徹底した考え方は、冷たいと受け取られるかもしれません。しかし、ジェンダー規範などの意味不明な価値観の押しつけに悩まされている子にとっては、こうちたドライな思考の方が救いとなります。
最後は令丈作品らしく、百合で締めてくれます。短い作品ですが、令丈ヒロ子のよさが凝縮されていました。