『わたしのあのこ あのこのわたし』(岩瀬成子)

傷はつけられたのだ。それをなにもなかったように思うことなんてできない。胸の中にしこりのようなものがあった。しこりがゆるしたがらなかった。そのしこりをどうしたらなくすことができるのかわからなかった。わたしはもともととてもいじわるな子なのかもしれなかった。(p87)

主人公の曽良秋は、結婚式場で働く母親とふたり暮らし。母親と父親の道夫くんはそもそも結婚しておらず、はじめから別々に生活する選択をしています。秋はクラスの持沢さんと友だちになりたいと思い、手紙を出してつきあいがはじまりました。しかし持沢さんの弟が過失で道夫くんからもらったレコードに傷をつけてしまったことから、ふたりの仲は少し険悪になります。
秋と持沢さんが交互に語り手を務める形式になっています。こうした手法自体は珍しくありませんが、岩瀬作品なので繊細さは飛び抜けています。秋は毛布の中で目を閉じて小さい穴にすっぽり収まる空想をし、持沢さんはお風呂の中でここじゃないどこかのことを考えると、それぞれ逃避の手段を持っているところなど、いかにも岩瀬作品の主人公という感じがします。
作品は、人の感情の制御のできなさをみつめていきます。秋は持沢さんのことが好きですが、同時に意地悪な感情もおさえることができません。秋は理詰めで持沢さんの落ち度を指摘していきます。この様子を秋は「わたしのくちからはどっかできいたことのある大人の言葉が出る」と表現しています。自分の感情にも層があり、それはさらに他人の言葉に憑依されもするという複雑さをわかりやすく解き明かしています。
その切り分け、割り切り方は、生き方を楽にする知恵にもなります。道夫くんにはひとりでいることが大事であることを知っている母親は、結婚制度に乗るという選択肢に縛られずお互いにとって生きやすい道を選びます。それでいて、結婚式の運営を職業とし、「式っていうのは、あれはあくまでセレモニーだから。結婚式を挙げることと結婚生活はまた別のことなの」と言ってのけます。