『オイモはときどきいなくなる』(田中哲弥)

ライトノベルやSFの分野でカルト的な人気を誇る田中哲弥が児童書出版の老舗福音館書店から突如『鈴狐騒動変化城』という上方落語テイストの傑作児童文学を発表してから7年、ようやく待望の児童文学第2作が出ました。
小学3年生のモモヨの春から次の春までのゆるやかな時間が描かれた作品です。臆病でびっくりすると白目をむくちょっとくさい愛犬のオイモや、うら山へ続く坂道の途中にある、床下に妖精の家族でも住んでいそうなお屋敷に住んでいるレオンさんというおしゃれなおばあさんとの交流が綴られています。
このようにあらすじを紹介すると、子どもと犬・子どもと老人の物語とは児童文学ではあまりにもベタ、まさかあの田中哲弥が守りに入ってしまったのかと心配してしまうファンもいることでしょう。しかし心配は無用です。この作品は間違いなく田中哲弥の作品で、しかも『鈴狐騒動変化城』と同等のレベルの超傑作です。
卓越したギャグセンスや怪奇幻想趣味など、田中哲弥は強力な武器をいくつも持っていますが、なかでも特筆すべき特長はあの独特の文体です。セリフと地の文がシームレスにつながり、登場人物の内言とナレーションとつっこみが渾然一体となったテンポのよい文章には、おそるべき中毒性があります。それをおバカな小学3年生女子の世界で使用するとこうもおもしろくなるとは。

「あのな」みどりちゃんはギコギコやっていたノコギリを止めると、おまえはばかかっていう顔をした。はっきりわかった。「まあおちつけ」
「それなにしてんの?」カーテンレールなんか切って。
「これはロボットのうでを動かすための」
「はっはっはっ。うっそだあ!」あっはっはっはっ。めちゃくちゃいうなあ。
「いやーやっぱりみどりちゃんはおもしろいや」ろ、ろ、ろぼっとの、う、うで。かーてんれー、かーてん、ろぼっと。ろぼ。ぼ。

この文体で、モモヨのおバカ行動が無数に記述されていきます。やるべきことがあってもなにか食べるとそれに気をとられて忘れてしまう、自分が階段を踏んだ瞬間にいい音がして雨がやんだので因果関係があるのかと思って何度も踏むのを繰り返す、寒い日は「ふつうになんか歩いてらんない」からゾンビみたいな歩き方をすると。田中文体の不思議なテンポによって臨場感が増幅され、おもしろさも増幅されます。
モモヨは幼年の世界から脱しきれておらず、すぐに夢幻の世界に引きこまれそうになる危うさも持っています。このあたりの幼年の描き方も、松谷みよ子の「モモちゃんとアカネちゃんの本」を思わせるくらいレベルが高いです。ただし、一足先に幼年を卒業した姉のみどりちゃん(中学校で「かがくぎじゅつぶ」に所属していて、アインシュタインやドップラーを愛しているおもしろ理系女子)が、常にモモヨを現世に引き戻してくれます。この安心感がよいです。
先述したとおり子どもと犬と老人の物語は児童文学の世界ではあまりにもベタなので、よほど突出したものがないと凡作にみえてしまうものです。しかし田中哲弥は高い技術力とセンスでねじ伏せ、問答無用の超傑作に仕上げてしまいました。これで田中哲弥の児童文学作家としての実力は十分に証明されたので、福音館書店は才能を見出してしまった責任をとってどんどん作品を書かせてください(web福音館の連載のこと、まさか忘れたわけではないですよね)。