『わたしの気になるあの子』(朝比奈蓉子)

小学6年生の瑠美奈と詩音の視点が交互に入れ替わる構成になっています。瑠美奈の祖父は時代錯誤の家父長制ジジイで、ごたいそうな家でもないのにいつも跡継ぎがどうとか妄言を言って弟をひいきし瑠美奈を罵倒していました。学校ではクラスメイトの詩音が突然坊主頭で登校して、驚かされます。瑠美奈の友だちの沙耶は祖母の影響で保守的な女性ジェンダーを信奉していて、詩音を口汚く罵ります。瑠美奈は孤立した詩音のことが気になり手助けをしたいと思いますが、「ほっといてほしいの」と拒絶されてしまいます。
詩音視点になると、坊主にした経緯が語られます。ずっと敬愛の対象だった姉が校則の厳しい高校に反抗して坊主頭にしてから憔悴しているのを気に病み、姉の力になりたいと思って自分も髪を剃りました。周囲の反応の苛烈さは思っていた以上で、詩音もメンタルを削られていきます。
祖父にしろ沙耶にしろ悪役の描き方は物語を動かすための駒として戯画化されたものにしかなっておらず、化石がしゃべってるという物珍しさ以上の感興は起こしません*1。一方で、瑠美奈と詩音の距離の詰め方は慎重に描いています。中盤の、傘という防壁のなかで一瞬距離が0に近くなる場面の美しさ、でもそのあとに以前の素っ気なさに戻ってしまうというもどかしさ、このあたりは読者の気をもませます。
ジェンダー同調圧力・校則といった問題を取り扱っているので、社会派作品としての落としどころも問題になってきます。一番安易な方法はみんなで坊主になって抵抗するというものですが、これをやると同調圧力が別の同調圧力に塗り替えられたことにしかならないので根本的な解決にはなりません。この作品の場合、そもそも坊主頭は生まれもった容姿に恵まれていなければ似合わないというルッキズムの問題にも踏みこんでいるので、ややこしくなっています。で、結果としてはこの作品はなかなかバランスのいいところに落ち着いてくれたように思います。

*1:ただし沙耶に関しては、ジェンダー上は現在の日本で一般的に女子とされているものだけど性指向は多数派のものとは異なることにもう少し大きくなったら気づいて悩むことになるんだろうなと予想している読者は、ちらほらいそうです。