『タフィー』(サラ・クロッサン)

自分の誕生とともに母親を喪った少女アリソンの物語。その後父親には多くの恋人ができますが、みんなDVのために別れてしまいます。直近の婚約者だったケリーアンも逃げ出した後、アリソンも虐待に耐えかねて家出します。そして思いがけないなりゆきで、自分をタフィーという女性だと誤認した認知症の女性マーラの家で生活することになります。
最近のYAで流行しつつある散文詩形式の作品です。三辺律子は訳者あとがきで、この作品における詩形式の効果を「アリソンの心の奥を絞り出すような文体は、読者をアリソンという、たった一人のたった一つの人生に寄り添わせてくれる」ことであると解説しています。まさにそのとおりで、虐待されながらも父親の愛情を求め、

              もし
              父さんが本当に私を庭に埋めたんだとしたら。
すべてがもっとかんたんだったのに。

というような極端な思考にも陥ってしまうアリソンの感情は、読者の胸に痛切に迫ってきます。
矛盾するようですが、徹底してアリソンの主観が貫かれているがゆえに、読者は同時に冷静で客観的な視座にも置かれます。自分が適切な振る舞いをすれば父親の愛を得られるはずであるといったアリソンの(アリソン自身もある程度自覚はしている)認知のゆがみなどが被虐待児には典型的なものだということを、読者は本人よりも理解していながらどうすることもできず見守ることしかできません。アリソンの主観に寄り添った視座と客観的な視座で並行した思考を走らせながら読むことを求められるので、読者の負担は大変なものになります。
もうひとつ、詩形式の利点は、言葉を文字で記述すること自体・文学自体が救いであることを明確に示してくれることにあります。それはたとえば、同じく詩形式のYA『エレベーター』で知られるジェイソン・レナルズの生き方そのものが示しているとおりです。『タフィー』は、人は文字だけでクリスマスツリーをつくることだってできるのだという奇跡をみせてくれます。