『ポーチとノート』(こまつあやこ)

もしいま児童文学作家の対談を企画するなら、こまつあやこと村上雅郁にぜひお願いしたいです。デビュー以来3作続けて×××の相手に××をデフォルト装備させたこまつあやこと、デビュー以来3作続けて××××××を登場させた村上雅郁。このふたりに「なぜ私はこうせずにはいられないのか」というテーマで恋愛観や作家としての業について語りあってもらいたいです。
『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ』『ハジメテヒラク』に続くこまつあやこの3作目。こまつあやこはデビュー作の時点ですでに勝ちパターンを確立しているので、「いつもどおりうまいですね」でほぼ語るべきことは終わってしまいます。言葉に対する深い愛情と知識がこまつあやこの最大の武器。『リマ・トゥジュ』では短歌とマレーシア語、『ハジメテヒラク』では実況、そして『ポーチとノート』ではエスペラントエスペラントで「助け」は「へるぽ」であるというネタを出そうと決めた瞬間に、著者はほぼ勝利を確信したのではないでしょうか。地口遊びや言葉自体の響きのおもしろさを糸口として、読者を巧みに作品の世界に導いてくれています。
主人公の未来には、いくつか秘密がありました。自分で〈痛ノート〉と呼んでいるポエムノートを書いていること。学校図書館に司書補として入った大学生に片思いをしていること。もうすぐ17歳になるのに初潮がまだこないこと。同じマンションにデリカシーに欠ける祖母(いまの未来と同じくらいの年齢で母を産んでいる)が引っ越してくることになったため、未来の〈痛ノート〉が危機にさらされます。司書補からエスペラントのことを聞いた未来は、これを暗号にノートを書こうとエスペラントの勉強を始めますが、やがてエスペラント自体の魅力にはまっていきます。
恋を知った未来は、恋と性欲は結びついているのか、生殖できない自分に恋をする資格があるのかという悩みを持ちます。この問いへの答えは簡単で、「人による」としかいいようがありません。しかし、画一的な正解があるという幻想を植え付けたほうが都合がいいと考える人々の影響力はまだまだあなどれません。そんな現実に、作品は正しい知識(図書館と医者)が大事というド正論を誠実にぶつけていきます。
このような知識と知見を必要とする子はいくらでもいるので、中高の学校図書館には必須の1冊になりそうです。