いつも食の誘惑と戦っていて(勝てない)、その様子をみてると人生ちょろいと思われされてしまうような自称小学二十一年生のソラモリさん。どう考えてもお手本にしてはならなそうな大人ですが、言葉に対する姿勢は真摯です。
言葉がテーマの作品だけあって、表現方法も独特のものが採用されています。
「(それ)」
ピンクのメモ帳をさせば、「これが、なに?」
「ください」
「どうして」
「わたしの(だから)」
このような「()」のなかに言外のニュアンスを入れる手法は、あまりみた覚えがありません。また、
美話は、
「あ、これが途方にくれるってやつ」と思いながら、しばらく途方にくれた。
という無駄なような表現。学校の課題の作文でやったら朱を入れられそうなやつですが、その自由さ、伸びやかさがこの作品の文体の魅力です。
テーマ・手法・そして物語の閉じ方。これが非常に高いレベルで調和し、最高の読後感を残してくれる作品になっています*1。
ところで、2021年には『ソラモリさんとわたし』のほかにも、『○○とわたし』というタイトルの児童書がいくつか出ていました*2。令丈ヒロ子『クルミ先生とまちがえたくないわたし』フリーダ・ニルソン『ゴリランとわたし』*3。なぜか2021年の三者は年齢差のある女性ふたりの関係性を主軸にしているという共通点がありました*4。
では、ソラモリさんと美話の関係性はなんなんなのでしょうか。この作品は、『君たちはどう生きるか』『ルドルフとイッパイアッテナ』『西の魔女が死んだ』のような師弟ものの児童文学の系譜に位置づけられます。しかし、ソラモリさんと美話には上下関係という意識は希薄です。そうではなく、横並びでふたりで前進していく「同志」という関係性を標榜しています。『ゴリランとわたし』も対等なパートナーシップを志向する作品でしたが、このあたりに女性ふたりの物語の現代性があるのでしょうか。
*1:この作品を布教する際には、ラスト1行の衝撃を強調するのがよさそうです。「ラスト1行の絶望感といえば『床下の小人たち』! ラスト1行の幸福感といえば『ソラモリさんとわたし』!」といった感じで。
*2:『○○とわたし』というタイトルだと当然「わたし」による一人称の語りなのだろうと思われますが、『ソラモリさんとわたし』は「美話は」という形式です。このひねくれ方も作品の味です。
*3:古くはカニグズバーグ『魔女ジェニファとわたし』なんてのもありますね。
*4:『○○とわたし』というタイトルではありませんが、ドゥマゴ文学賞受賞の話題作『海のアトリエ』も年齢差のある女性ふたりの物語でした。2021年の児童文学、そういう流れだったのか?