『ばーちゃる』(次良丸忍)

光希の母親は、死者の映像を立体的に映す未来型の遺影の開発に携わっていました。それに死者のデータを入力することで、動きや会話の再現も可能にすることを目指していました。光希はその手伝いで、亡くなった祖母の日記を1ページ入力すると10円という割に合わないバイトをしていました。ところが、それは祖母のものではない固有の人格を持ちはじめます。光希たちはそれを『ばあちゃん』ではない『ばーちゃる』と名付けて開発を続けます。
SF的な発想としては、目新しいものとはいえません。しかし、それに孫と祖母・喪の物語といういかにも児童文学的な意匠を施し、それをずらしていく手つきは興味深いです。
『ばーちゃる』を外に連れ出すときは機械を運搬するためベビーカーを利用し、ついでに外見も幼児の姿にするという適当さだったり、祖母の姿をしているものが孫が遊んでいるレトロ格闘ゲームに興味を持って暴力的な応援をするミスマッチ具合だったり、気の抜き方がうまいです。
実は光希たち家族は祖母の死自体はもうすでに受け入れているし、光希たちの興味は『ばあちゃん』よりも『ばーちゃる』の方に向いています。孫と祖母・喪の物語といった児童文学読者がこの設定から期待するようなテーマ性は、この作品には希薄なんですね。それでいながら、諦念とそれゆえの気楽さという次良丸忍らしい気分が、ラストを情感たっぷりのものにしています。