『ラベンダーとソプラノ』(額賀澪)

真子は合唱クラブに所属する小学生。全国大会常連の強豪校として知られる学校でしたが、顧問の先生が替わってから金賞を逃し、クラブ内の空気が悪化します。真子の同級生で新部長になった穂乃花は部員に威圧的な態度をとるようになり、クラブを辞めたいという下級生も出てきます。そんななかで真子は、商店街の半地下合唱団に出入りするようになります。小学校とは正反対のがんばらない方針の合唱団に関わることで、真子の価値観も解きほぐされていきます。
ここまでブラック部活動の問題に正面から斬りこんだ児童文学作品は、稀であるように思われます。下級生の優里が先生に部をやめたいと相談すると、なんと先生は本人に事前に告げずみんなの前でこのことを話し、クラブのみんなで話しあうように指示します。これはみんなでつるしあげよと命令しているようなものです。クラブ内だけでなく学校生活のすべてにおいて優里はクラブのメンバーから嫌がらせを受けるようになり、とうとう学校に来られなくなります。ブラック部活動が人を悪鬼に変えてしまう様子が、それは恐ろしく描かれています。
学校内には保健室以外の逃げ場はありませんが、真子の場合は母親も合唱経験者だったので、家庭内にも逃げ場がありませんでした。こうなるともう、カルト2世みたいなものです。偏狭な価値観で人を洗脳し、構造的に人を不幸にするブラック部活動は、カルトに近い絶対悪であると断言して差し支えないでしょう。
それだけに、半地下合唱団というアジールが輝きます。異年齢の多様な価値観を持つ人との関わりが、真子の大きな助けになります。それから、おいしそうなコロッケやおにぎりも真子を癒やしてくれます。このアジールに直には到達できず、学校の保健室を経由するという段取りを踏むところも、物語的で楽しいです。
ブラック部活動は絶対悪ですが、それに関わる人の思いまで全否定するのは難しいでしょう。真子は、責任をはたしてがんばりたい思い、楽しく歌いたい思いのあいだで揺れ動きます。このほかにも、作中には裏表の感情がいくつか提示されます。このあたりは丁寧に整理されているので、教育的意図は伝わりやすい作品になっています。きれいは汚い、汚いはきれい、正しいはまちがい、まちがいは正しいという世界の複雑さの前に、読者は佇まされます。