『ティゲルファル』(斉藤洋)

はるか太古、病気のため仲間から置き去りにされた少年が、ひとりの老人に助けられます。老人は十を超える数や交換という概念など、思いもよらなかった知恵を少年に授けていきます。
という発端は、斉藤洋お得意の師弟もののようです。複数の名前を持つ猫より文明レベルの古いなかで展開される知恵の伝承は、他の斉藤洋師弟ものとは異なる特色があります。そして、少年が恐るべき才能を発揮しだすと、師弟ものの定型からずれていきます。
その才能とは、本当でないことを言葉にして発するという、驚嘆すべきものでした。いや、意味がわからないですよね。そんなことする必要がないし、そもそもそんな発想をする人類がいるということ自体が想像を絶しています。
少年のしていることはあまりに難解なのでうまく説明できる自信がないのですが、作中の例を挙げて解説してみましょう。少年は自分のたき火を守ってくれている女に、貴重な食料である青トンボを一匹贈ります。そのとき、実際は三匹狩っていて自分と師で一匹ずつ食べていたのに、女には「ひとつしかとれなかった」と本当ではないことを告げます。なぜそんなことをするのか理解しがたいですが、このことによって青トンボの価値をつり上げ、女の感謝を増幅させることが少年の目的であったようです。
少年はこの他にも言葉の使用に斬新な工夫を施して、最終的に……。
斉藤洋は『ルーディーボール』という悪漢小説を書いていますが、こちらの主人公は悪漢を超えて悪魔の域に達しています。それも、人類に虐殺の文法をもたらした最悪レベルの悪魔である疑いが持たれます。
言葉は分断を煽る、言葉は憎悪を煽る、だから言葉で騙してはならない、言葉に騙されてはならないと。悪の起源を描いているがゆえに、まさに今日的な警告となっています。