『ぼくのちぃぱっぱ』(長江優子)

服部至は、赤ちゃんのころからオカメインコのチーパと一緒にいました。ところがある土曜日、マンション18階の至の家からチーパがいなくなってしまいました。至と両親は、チーパを探すためポスターを作成したりと様々な行動をします。
作品はチーパがいなくなるという出来事を、「ヒニチジョウ」であると規定します。至と同じマンションに住んでいるムツくんは自分が飼っていたカブトムシがいなくなってしまった経験を話し、それは「あんみつのなかに、落っこちたみたいだった」とし、「あのときのぼくは、非日常の世界にはいりこんでしまったんだと思う」と振り返ります。
ヒニチジョウにはいることは、子どもが世界を見る解像度が上がる経験となります。また、鳥が行方不明になっているのに焼き鳥を買ってくるのは不謹慎だとか些末なようなことで両親がけんかをしてしまうような、感情の揺れ方も変化する経験になります。
世界を非日常化するというのは、シクロフスキーのいう異化を思わせます。この作品は、ある意味メタ的に芸術の作用を描いているとも考えられそうです。
いともたやすくニチジョウがヒニチジョウに変わる世界の残酷さ、ヒニチジョウがニチジョウにもどってしまう世界の強靱さ。世界のダイナミックな側面が描かれていて、子どもが読んだら世界の見え方そのものが変わってしまうくらいの強度を持っている作品でした。