『ひげよ、さらば 上』(上野瞭)

シャム猫は神聖にして、常に敬愛されねばならぬ。
・すべての猫は、健康で文化的に暮らす権利がある。およそナナツカマツカの丘にそのテリトリーを持つ猫は、それぞれのテリトリーを守る義務がある。
(「『猫の憲法』草案」より)

800ページ近い厚さと、それにみあった重厚な内容、そしてなんといっても忘れることのできないのは、カワイイネコチャンの話とは思えない凄惨なトラウマエンド。80年代児童文学を席巻した理論社大長編路線のなかでも圧倒的な存在感を誇る伝説の作品の新装版が三分冊で登場しました。古い読者はどうしても新装版には多かれ少なかれ不満を持ってしまうものですが、当代有数の猫絵師である町田尚子の起用には、「正解」を出されてしまったなと脱帽させられてしまいました。

記憶喪失の猫ヨゴロウザが目覚めるところから、物語は始まります。(ここはどこだろう)(おれの知っている世界じゃない。おれの知っている世界はどこにいったんだ……)と内心思うヨゴロウザは異世界転生者のようです。かすかな記憶にある「おれの知っている世界」には、「鼻の奥がしびれるような、もっといやな匂い」が漂っていました。しかし、記憶を詳しく探る暇もなくヨゴロウザは片目という猫に絡まれます。この丘に住む野良猫は野良犬の脅威にさらされていて、片目はそれに対抗するため猫に「集団行動」をさせようともくろんでいました。片目は強引にヨゴロウザをその計画の相棒にし、丘に住む野良猫たち一匹一匹と話をしに行くようにと指示します。上巻は、片目の詐術で猫たちをおびえさせ危機感を煽り、丘のリーダーを決めようというところまで話がまとまったところで終わります。
今回再読して感じたのは、この作品の音楽劇としてのおもしろさです。伊勢物語を意識して執筆されたという「クレヨン王国」シリーズなど、名作児童文学には物語と詩が結びついて音楽劇のようになっているものがみられます。上野瞭の出発点は『ちょんまげ手まり歌』というまさに「歌」の物語でしたから、その相性はぴったりです。 「ちょんちょ、ちょんちょ、首ちょんちょ」「おなさけぶかい殿さまは ころりころころ、首切れぬ 首が五十じゃ、むりじゃいな それじゃ二十じゃ、どうじゃいな」という手まり歌のリズム感のよさと怪奇幻想性は、強烈なインパクトを与えてくれました。『ひげよ、さらば』も、リズムに酔わせてもらえます。

とおりすがりに
ひげにささやく
ちぎれた風に
ひげはささやく
ことばすくなに
ひげのささやき

オンビキヤドリのオンビキ一ぴき
手ひき足ひき車ひき
水ひき つなひき たづなひき
風邪をひきひき 粉をひき
筋ひき のこひき かんなひき
どこまでひいても えこひいき
影をひきひき 水音のひびき

「きみ。簡単にいえば、歌ってものはね、楽しいか楽しくないか、おもしろいかおもしろくないか、それだけわかればいいんだ」