『今日、僕らの命が終わるまで』(アダム・シルヴェラ)

「2021年アメリカでもっとも読まれたYA小説」という触れこみの作品です。夜の0時をまわるとその日に死ぬ運命の人に宣告の電話がかかってくる世界が舞台。死の宣告を受けたふたりの少年が主人公になります。ひとりは、母親を亡くし父親は昏睡状態で入院中で友人もほとんどいない孤独な少年マテオです。もうひとりは、里親ホームで暮らしている少年ルーファス。元カノの現恋人をぶちのめしていたときに電話を受け、里親ホームの仲間たちに自分の葬儀をしてもらっていた場面で警察に踏みこまれます。仲間たちが時間かせぎをしてくれているあいだにルーファスは逃亡します。こんなふたりがマッチングアプリで知りあい、最後の1日を過ごす大事な相棒になっていきます。
「やりたいことリスト」が重要な役割を果たす作品の多さを考えると、むこうでも余命ものが人気なのだということがわかります。それにしても余命1日という設定は極端で、「やりたいことリスト」をこなすにしてもRTA感が漂ってきます。マテオのやりたいことは数少ない大切な人に最後に会いに行くことで、ルーファスもそれにつきあいます。
作中では、様々なアメリカの世相も浮かびあがってきます。ルーファスの性指向が仲間たちに自然に受け入れられているところは好ましく感じられました。また、死の宣告の電話をかけるオペレーターの仕事(?)が過酷な感情労働のブラック労働として描かれているのも興味深いです。ただしそれらはあまり掘り下げられることはなく、あくまで物語の主眼は運命のふたりの関係性が生み出すエモにおかれています。
作中で起こっていることは、まるでリアリティショーのように感じられました。人の死ほどゲスな好奇心を喚起するものはありませんし、彼らはSNSなどでその様子を画像や動画つきで実況してくれるのです。この世界には最後の1日を鑑賞することを趣味にしている人が多数いるはずです。各種ネットサービスを利用すれば死ぬ人を探すのは容易です。その日死なないことが確定している人は、最悪のことは起こらないということが保証されているなかで死ぬ人に接触することができるので、観客参加型のショーとして楽しむこともできます。その極端な例が、死ぬ人にセクハラメッセージを送りつける人々でしょう。
この作品が多くの共感を呼んだ理由は、人生が容易にショー化されるネット社会のありようと余命ものを結びつけたところにありそうです。