『吸血令嬢カーミラ』(ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ/原作 令丈ヒロ子/文)

古典百合ホラー『カーミラ』を百合児童文学の第一人者である令丈ヒロ子が再話するということで、発売前から評判になっていた作品です。
カーミラ』を読み解くうえでまず確認しておかなければならないのは、吸血鬼カーミラの犠牲者ローラは信頼できない語り手であるということです。

このローラの視点とためらいがちに語る彼女の口調は、この「人間を糧にして二〇〇年という年月を生き続ける怪物」の正体を周囲の人々や読者から見えにくくしている。つまりローラは「人間」でありながら無意識に「吸血鬼」に加担している「仲介者」の一人なのである。*1

ローラが怪物に加担する側の人間なのだとしたら、語られたことよりもむしろ語られなかったことの方が重要になってきます。彼女の語りが秘匿していることはなんなのでしょうか。この物語を百合異類婚の物語として読み解いた久保陽子の論をみてみましょう。

しかし、この後日譚として、いったん滅ぼされたマーカラすなわちカーミラが、ローラの肉体やその周囲を通じて何らかの再生を遂げる、というような展開を思い描く読者もいるであろう。

同性同士のカーミラとローラは、社会制度上の婚姻ができないし、当時の社会通念上の合法的な関係性も公には築けず、そして生物学上の出産を経ることもない。しかしそうであるからこそ、母方の女吸血鬼という血統が、生まれ変わりを通じて脈々と再生され受け継がれていく可能性が、物語全体を通じて示唆されているのだといえよう。*2

吸血鬼の恐ろしい点は増殖することであるということは、『カーミラ』作中でも触れられています。しかし作中では、ローラも含めてカーミラの犠牲者の女性は誰一人として吸血鬼化したとは語られていません。これはあまりに不自然です。吸血鬼に加担しているローラが隠していることは、カーミラが何らかのかたちで生き延びているということです。カーミラはローラにこのように愛の言葉をささやきます。

「わたしはあなたの命のなかで生き、あなたもわたしのなかで……甘い気持ちで死ななくてはならないの」(令丈版p30)

ここで令丈ヒロ子の読者は、死んだ後に好きな人と一体化するというかたちで永遠の愛を実現した百合ホラー短編「いちごジャムが好き。」を思い出すことでしょう。カーミラも同様に、すでにローラと一体化していると考えるのがもっともロマンティックなようです。そうでないとしても、久保陽子も述べているようにどんなかたちであれカーミラの血は滅びてはいないものと想像されます。
令丈版『カーミラ』と原作*3の顕著な違いは、原作にはあった枠構造が取り払われ、ローラがダイレクトに「あなた」に語りかける形式になっているところにあります。この物語はドクター・ヘッセリウスの要請でローラが書いた手記であり、さらにその手記について語る正体不明の語り手も存在します。時代から考えて、ドクター・ヘッセリウスも正体不明の語り手も男性であると考えるのが自然でしょう。つまり、令丈版では男性の介入が排除されているのです。吸血鬼退治の儀式のような男性的な暴力では滅ぼすことのできない愛の血の物語を描くうえで、この改変は必然であるように思われます。
令丈版ローラは、吸血鬼によってボルデンブルグ男爵との恋を奪われたカーミラを哀悼するかのような筆致で物語を語り終えます。しかし、カーミラのいう恋が男爵との恋であったとは、作中の情報からは断定できません。むしろ、「とても残酷な、不思議な恋でしたわ*4」という表現からは、これは吸血鬼との恋であると考える方が自然なように思われます。令丈版ローラの語りは、人類と異類のあいだに真実の恋が存在するということを秘匿しているのです。
実はもうひとつ、令丈版ローラが隠していることがあります。それは、怪異の感染経路についてです。原作ではカーミラが吸血以外の感染経路について語っています。

「悪霊は、空気のなかを漂っていて、まず神経に作用して、それから脳に伝わるのです。」*5

ここで、ローラが隠していたことを整理してみましょう。まずは、カーミラの生存、二点目は、人類と異類の恋、三点目が、怪異は脳に伝わるということです。ここからは、現実とフィクションを混同した与太話になります。この三点の隠しごとと、令丈版の「あなた」に語りかけるという仕掛けが恐るべき意味を持ってきます。
ローラは、「だれかに、そうあなたにも、カーミラのことを知ってほしいと思うのです。」と語りかけます。さらにあとがきでも、著者が「そして多くの方に、ローラとわたしの美しいお友だち、カーミラのことを知ってほしいと思っています。」と語っています。そのうえ、出版社による宣伝文句でも、「そう、見つめているのは、あなたです……」*6と述べられています。なぜここまで執拗に読者を巻きこもうとしているのでしょうか。ここでの「あなた」とは、カーミラと「お友だち」になれる可能性のある女性の読者であると考えると、答えがみえてきそうです。

*1:山田幸代「「西」から来た魔女――アイリッシュ・ゴシックとしての『吸血鬼カーミラ』」『ゴシックの享楽』(彩流社・2021)所収より

*2:久保陽子「女吸血鬼カーミラと少女ローラ――レ・ファニュの吸血鬼譚を現代的観点から読み直す」『西洋文学にみる異類婚姻譚』(小鳥遊書房・2020)所収より

*3:ここでは長井那智子訳『女吸血鬼カーミラ』(亜紀書房・2015)を参照しています。

*4:長井訳p72

*5:長井訳p82

*6:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000649.000031579.html