『ロッタの夢  オルコット一家に出会った少女』(ノーマ・ジョンストン)

1848年にドイツからアメリカに来た架空の移民の少女ロッタが、当時ボストンに住んでいたオルコット一家と出会うという、史実を元にしたフィクションです。『若草物語』を知る読者にはオルコット一家が理想化されたマーチ一家も自動的に想起されるので、虚構の層は複雑です。
アメリカに渡れば父は就職でき子どもたちは学校に通えるものと期待していましたが、父は希望の職には就けず肉屋に就職してすぐに大けがをし失踪してしまいます。子どもたちは学校で屈辱を受け、兄は素行が怪しくなります。家族の前途には暗雲しかないところに、ソーシャルワーカーをしているオルコット夫人の存在を知り、家族ぐるみでのオルコット家との交流が始まります。
当初ロッタからはオルコット家の暮らしは理想的な豊かなアメリカの暮らしにみえていました。しかし実際は高邁な理想を持つオルコット氏は無収入で、後に『若草物語』を著す娘のルーイは、すでに将来作家になって家族を支える決意をしていることがわかってきます。それぞれ謎を抱える家族の姿が徐々に浮かび上がってくる構成は読ませます。
ロッタの父は家族のなかでただひとりだけ字が読めず、そのことを子どもには隠しているのにロッタは気づいているという状況がつらいです。ロッタの父は男性には家族を支える義務があるという信念に追い詰められていきます。対照的なのはオルコット氏で、彼は女性に経済的に支えられていることに頓着しません。現代的なジェンダー観に照らせば、正しいのはオルコット氏の方でしょう。やがてロッタの父の価値観も解きほぐされ、子どもたちは女性が主体的に生きる道を模索していきます。一方で、ロッタの父の素朴な正義感や冒険心も魅力あるものとして描かれています。
題材がこれなので雰囲気は世界名作調で、暗いなかにも希望がみえる読み心地のよい作品でした。
ただオルコット氏については、独特の教育観や代替医療信奉など尖った思想に家族を巻きこんだ毒親SSRで、生涯家族のために尽くしたオルコットは宗教2世のような苦労を強いられていたという見方をする人もいます。そのことを考えると、いろいろ厳しくなるような気もします。