『どんなイチゴも、みんなかわいい』(葦原かも)

イチゴはみんな ちがうかたち
だから、みんなかわいい
だから、みんなおいしい
         ゲーテ

確かに「あらゆる名言はゲーテが言った」ってゲーテが言ってたけど……。
主人公のアヤは、フクロウやミミズクが大好きで空想力に優れている小学3年生。そんなアヤの日常のエピソードが3つ、あたたかみのある筆致で描かれます。
第1話では、アヤの耳にジュズダマが入ってとれなくなってしまいます。こういうちょっとした身体の不調は子どもにとって大事件ですが、ジュズダマ付きのアヤはふだんより勇気が出せるようになり、クラスでやる劇のやりたい役に立候補することができたりと、いいことが続きます。
先生という身近な大人と子どもの人間関係が立体的に浮かび上がってくる第3話が秀逸でした。前の学年で担任だった先生が自転車のチェーン鍵を足下に投げて「ヘビッ!」と脅かすいたずらを仕掛けてきます。アヤが「くさりじゃん」としらっとした対応をすると先生は「想像力ないな」と煽ってきました。先生を見返すためにアヤがお話を書き始めたところ、パパが先生は「アヤにかまってほしかったんだよ」と助言しました。子どもが大人の接待をしてやることはないのですが、ちょっと先生がかわいそうになったアヤは先生を笑わせてあげられるようなお話を書こうと決意します。その後アヤは学校の図工室の天井裏に上るといういたずらをやらかします。ここで、現担任は立場上きちんと叱らないといけないのに対し、前担任は軽く冷やかしてくるというゆるさが生まれるのがよいです。
作品の意図はあとがきで記されているとおり、日常の小さなドラマを拾い上げることです。言うだけなら簡単ですが、大きなドラマに頼らず読める小説にするのは至難の業です。そんな難しい事業をやり遂げ、ちょうどよい温度の作品に仕上げてくれました。地味ながらなかなかの佳品です。