『いつかの約束1945』(山本悦子)

みくとゆきなは、道ばたでうずくまっているおばあちゃんを発見します。おばあちゃんは、自分は「おばあちゃんじゃ……ないもん」と奇妙なことを言うので、ふたりは「お年よりの人のなる……にんにんにん」ではないかと疑います。その後おばあちゃんは、自分は「関根すず。九さい!」と名乗ります。ここでゆきなは、これはアニメやマンガでよくある入れ替わりであると、突拍子もない推理をします。となると、ぶつかったか階段から落ちたかなんかですずと入れ替わった見た目九歳のおばあちゃんがどこかにいるはずで、3人でその人物を探すため町を彷徨します。
1945年がどんどん遠ざかるなかで現在の子どもと戦争をどのように接続するのかというのは、戦争児童文学の大きな課題です。その対策として、「にんにんにん」と入れ替わりを組み合わせるという着想は秀逸です。常識的に考えれば「にんにんにん」の方だろうけど、はたして……と予想を立てながら読者は3人のささやかな旅に同行できます。『先生、感想文、書けません!』などで証明されているとおり、山本悦子は女子の軽妙な掛け合いを描くのが達者で、序盤は戦争児童文学には似つかわしくない楽しげな雰囲気で進行します。それゆえ、過去の悲劇との落差が引き立ちます。
みくの家のベランダから町を見渡したすずは、「どうして、こんなに町がきれいなの」「町をこんなにきれいにしたのは、だれ?」と問います。それにゆきなは「いろんな人だよ!」と答えます。みくはまたこいつ適当なこと言ってんなと思いますが、ゆきなが「家をつくった人」「学校や公園をつくった人」と具体例を出すと納得し、「アイスキャンディーをつくった人、お友だちにあげる人」と続け、それを聞いたすずは「あたし、いろんな人になる」と決意します。「いろんな人」とはすなわち、「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」た人たちのことで、ここで過去と現在の接続が密接になされます。