『カトリと霧の国の遺産』(東曜太郎)

第62回講談社児童文学新人賞佳作受賞作で2021年に刊行された『カトリと眠れる石の街』の続編。19世紀後半のエディンバラを舞台にふたりの少女が冒険を繰り広げる世界名作調の作品でありながら(2巻が出たのでやっとおおっぴらにいえるが)オチがコズミック・ホラーというエンタメ児童文学の新機軸を打ち出して話題になり、2巻が待望されていました。
2巻でカトリとリズは、ジョージ・バージェスという古物収集家のコレクションをめぐる怪奇事件に巻きこまれます。カトリの勤める博物館に、亡くなった古物収集家ジョージ・バージェスの遺品として、6世紀のビザンツ帝国あったとされる「ネブラ」という謎の街にまつわる物品が寄贈されました。その特別展を開いたところ、来館者が何人も行方不明になるという事件が起こります。カトリが調査を進めると、コレクションのひとつ『ネブラの年代記』という本に赤文字で記された人名と同じ語源の名前の人物が行方不明になっていたことがわかります。やがて、カトリと同じ語源の「カタリナ」という人名が赤文字になり、カトリの身にも危機が訪れます。
博物館で働きながらラテン語を学び、いずれ大学に入ろうという夢を持っているカトリですが、庶民出身なので基礎学力が足りず勉強に行き詰まり、女性が学位を取ることが難しいこともわかってきて、養家の金物屋を継ぐ道を捨てた自分の進路選択は正しかったのかと思い悩みます。これは残念ながら過去の外国の問題ではありません。現在の日本でも入試において公然と性差別が横行していますし、富裕層に有利な入試制度改革は格差を一層拡大させようとしています。このように社会問題に結びつけなくても、未来への選択は普遍的な悩みです。児童文学的なテーマ性は、1巻よりわかりやすいものになっています。
悩みを抱えた子どもが別世界に導かれるという流れも、児童文学として王道です。もっとも有名なのはエンデの『はてしない物語』ですが、赤黒い皮に鱗がついていて全体的に古くなった生肉のようだという『ネブラの年代記』の気味の悪い装丁には、『はてしない物語』のそれとは別種の魅力があります。日本の作品では、三田村信行の短編「へやのないまど」が、絶望の極致を描いています。また、別世界に閉じこめられた子どもと外側からそれを救おうとする子どもという『カトリと霧の国の遺産』のキャラ配置は、『時計坂の家』『黄色い夏の日』といった高楼方子作品も思い出させます。なお、著者のnotoでは「架空の街」テーマとしてK・ヒロシのショートショート「雨美濃」をはじめとした幻想文学の影響について触れられています。
以下、作品の結末に触れます。












ジョージ・バージェスの野望は、起こることがすべてが決定されているがゆえに不安のない「架空の街」をつくることでした。これが、カトリの進路選択の悩みに結びつきます。ただし、彼の思想は一概に否定されるべきものではありません。「怪我や病気が起こる前に、それを知ることはできないのか」という彼の無茶な注文は、現代の予防医学の発展を予言しています。また、唯一神がすべてを予定しているという信仰を持っている人にとっては、そういった思想こそむしろ当然に思えるでしょう。
カトリが無限の選択肢の隠喩である無数のドアを見る場面は、バージェスの「自由は牢獄であり、従属こそが解放」というセリフとあわせて考えると、エンデの短編「自由の牢獄」のオマージュであると捉えて間違いないでしょう。しかし、「自由の牢獄」と異なりカトリはひとつのドアを選びとります。それが可能となった理由は、かつて見た異国の風景が描かれたタペストリーの記憶でした。カトリは絵に描かれた場所にいる自分を幻視していました。ここで、もうひとつのエンデ短編が思い出されます。絵画のなかの聖なる場所に対する渇望・熱情は、「遠い旅路の目的地」のシリルのそれに似ています。エンデにエンデをぶつけるというなかなかおもしろい試みがなされています。
ただ、カトリが架空の街を拒絶できたもうひとつの大きな理由は、旧き者の加護があったからなんですよね。これは、このシリーズならでは。この独自路線でどう突き進んでいくのか、先が楽しみです。