『G65』(石川宏千花)

胸が大きいことに悩んでいる貴和は、盗撮の被害に遭ったため転校し、叔母の家で暮らしています。作品は複数の語り手が交互に語る形式になっていますが、そのなかに物理的にも精神的にも貴和を守っているブラがいるという仕掛けが目を引きます。
言動がだらけているようでしっかり自立している叔母をはじめとして、様々な人との関わりのなかで貴和がゆるやかに回復していくさまが好ましいです。擬人化されたブラを含めて、性加害から少女を守ろうとする女性たちの連帯の輪がみえてくる流れには励まされます。
ただし、ブラによる少女を「守りたい」という思いが幾度も繰り返されるところには、押しつけがましいパターナリズムの気配がします。結果として、少女が守られる客体と化しているように感じられます。もちろん、少女は成長すれば守る主体になるということなのでしょうが、そうなると新たに守られる客体となる少女を必要とするところに撞着があります。
また、貴和が被害に遭った理由が胸の大きさによるものであることが強調されすぎているところにも懸念があります。「貧乳に生まれ変わりたい」というセリフなどは不用意でしょう。石川宏千花の近作『保健室には魔女が必要』でも、性犯罪に遭う理由は被害者が美人であったためであるかのような記述がなされていました。これでは、多数派から性的魅力があると見做される特徴を持たない人は性犯罪の被害者にはならないと主張しているかのようにみえてしまいます。一部の石川作品は、ルッキズムを批判しているようで作品自体がルッキズムにとらわれているような危うさを持っています。