『アナタノキモチ』(安田夏菜)

野田ひよりは、弟と父母と母方の祖父母の六人家族でした。そこに思いがけない新住人がやってきます。一家からは縁を切ったも同然の母の妹が自分の息子を捨て、その子がひよりたちの家で暮らすことになったのです。ひよりからみたらいとこにあたる男の子ハルはASDで、一家は障害者の家族として生活していくことになります。
物語は主に、ひよりと祖父の視点で記述されます。ASDの人は他人の気持ちを理解することが困難であるとされています*1。作品は目の曇った人物に語らせることで、定型発達者がいかに他人の気持ちを理解できていないのかということをあぶりだしていきます。こういういじわるな手法はホラーやイヤミスの書き手が得意とするもののような気もしますが、安田夏菜はみごとにそれを使いこなしています。
祖父は、自分の狭い価値観を絶対の正義だと信じて疑わず、気に入らないことがあるとすぐに怒鳴るモラハラ加害者でした。ひよりは先生受けのいい優等生でしたが、親友が経済的に困窮している家庭の子だということを知ると施しをしてしまい、関係が決裂してしまいます。ただしひよりのほうは、年齢を考えれば善意からのその失敗を強く責めることはできません。その失敗を糧に中学受験に挑戦したり、それに失敗して公立中に入学したら未経験の書道部に入部してみたり、常に自分を変える努力をしているので希望が持てます。
祖母は元保育士で、ハルに出会ったらすぐに特性持ちであることを見抜き、医療につなぎます。ハルの極端な偏食も適切な工夫で徐々に改善させていきます。一家の主柱は祖母で、ひよりや祖父らは祖母から無限のケア労働を引き出せるものと信じています。そんな柱にひびが入ったらどんなことになるのか、考えたくもないですね。
他人を理解できないことは崩壊の引き金になりますが、それは再生の糸口にもなります。ハルであったり、ひよりが中学で知りあった素行の悪い書道少女であったり、不在でありながら一家に暗い影を落とすハルの母親であったり。絶望を希望に反転させる終盤の展開には、驚嘆するしかありませんでした。『むこう岸』に並ぶ安田夏菜の新たな代表作になりそうです。

*1:海外の作品では、エル・マクニコルの『魔女だったかもしれないわたし』(2020)が共感能力に欠けているのは定型発達者のほうではないかという問題提起をしている。