『マリはすてきじゃない魔女』(柚木麻子)

「ナメクジのゲロは長い」

シスターフッド系の小説の書き手として知られる柚木麻子の初の児童文学作品。11歳のマリは、食いしん坊で目立ちたがりで怠け者で独特のファッションセンスを持っている「すてきじゃない」魔女。学校でも実験用のカエルを千匹に増やしたり、歴史の教科書から昔の暴君とその軍隊を引っぱり出して校舎を危うく燃やしかけたりと、厄介ごとばかり起こしています。物語のはじめから己の食欲を満たすために一歩間違えば世界を滅ぼしかねない魔法を使って学校に保護者を呼び出されるのですから、始末に負えません。マリの住む町には人を眠らせてしまう巨大な花が封印されていてそれが目覚めそうになる危機が訪れますが、マリは「すてきじゃない」ので町を救う英雄になったりはしません。
まずは作中における「すてき」「すてきじゃない」の意味を確認しておきましょう。魔女はクラスにひとりくらいの割合でいるマイノリティです。魔女はかつて人間たちから激しい弾圧を受けていました。そこで魔女たちは、人間たちにとって「すてき」な存在になって人間に受け入れられようと努力しました。つまり、自分たちは有用であるとアピールしマジョリティにおもねるという生存戦略を選んだわけです。しかし人間たちのわがままは尽きず、魔女たちは「すてき」の重圧に苦しんでいました。
「すてき」な魔女の代表格は、マリの母のユキさんの母のモモおばあさまです。彼女の活躍は人間によって脚色された小説にされ、映画化もされています。モモおばあさまは生きながらに偶像にされているわけです。かつて魔女はコウモリ・カラス・ヒキガエル・猫などを相棒にしていましたが、猫以外は「すてきじゃない」ので、モモおばあさまは人間の小説家の指示で相棒のコウモリと引き離されていました。
ユキさんの妻のグウェンダリンも力のある魔女で、占い師として多くの人を救い「すてき」な魔女として人気を得ています。なのに、人間ときたらね。物語が進むにつれて人間のおこなう差別のひどさがどんどん明らかになり、人類は魔法で滅ぼした方がいいんじゃないかという気分になってしまいます。
人間どもは魔女の体型にまで口出しし、ちょっとでも太ると「すてきじゃない」と文句を言ってきます。本当に滅んだ方がいいと思う。
そういうわけで、人間の役に立たず自堕落で太っているマリは、まったく「すてきじゃない」魔女だということになります。
セクシュアリティルッキズムの問題など、現代の子どもたちに伝えたい論点がたくさん盛りこまれています。そこがあまりに生真面目なため、すべてのキャラクターやエピソードが思想を語るためにつくられていることが見え透いてしまう窮屈さはあります。
でも、「すてきじゃない」魔女のパワーがそれを吹き飛ばしています。かつてはモモおばあさまと親友だったけど「すてきじゃない」生き方を貫いている魔女のマデリンは、お城で自由気ままな生活を満喫しています。お城の1階は南極で2階は南国、3階は図書館と映画館。映画館ではバターたっぷりのポップコーンを頬張るという背徳的な行為もできます。最高のお城では。マデリンは、人間とは決別し氷の城に引きこもったエルサです。もちろんマデリンは、エルサのような「すてき」とされる容姿もしていません。
主人公のマリも、マデリンに負けずフリーダムです。柚木麻子はインタビューで、この作品を書くうえで絶対にやりたいと思ったことを3点挙げています。人を救わないことと成長しないことともうひとつ。最後に挙げたのは思想ではなくただの趣味でした。この趣味を押し通すパワーが、作品全体に爽快感を与えています。