『キオクがない!』(いとうみく)

14歳の笑喜孝太郎は自転車の事故で記憶を失います。退院して家に帰ると弟の態度がよそよそしく、隣家の女子にもひどく拒絶されます。記憶を失う前の自分はものすごくいやなやつだったのではという疑いがどんどん深まっていきます。
児童文学の主人公に加害者を据えるのは、難しい試みです。いとうみくの近作『夜空にひらく』の主人公は家裁送致された子ですが、この子はどう考えても被害者側弱者側の子でした。『夜空にひらく』の主人公を絶対に許すことのできない犯罪者だと思って読んでいた読者はほとんどいないはずです。でも、主人公をガチの加害者にすると村上しいこの『こんとんじいちゃんの裏庭』のように胸くそ悪い読み味の作品になってしまいます。その点、記憶を失い別人格になって自分を見つめ直すという『キオクがない!』の設定にはその難しさを克服するための工夫がみられます。主人公の境遇は森絵都の『カラフル』を思い起こさせます。こういうあからさまなオマージュが出るくらいに『カラフル』が古典化したと考えると感慨深いものがあります。『カラフル』ももう四半世紀前の作品ということになってしまうのか。
いとうみくらしくエンタメ性は十分で、徐々に主人公の謎に迫る構成が読ませます。児童文学のオタク向けには、そこまで同じなのかよという驚きを与えるサービスも嬉しいです。また、悪い見本として認知症になって自分が加害者であったことを忘れた老人という、逃げ切りパターンを提示しているのも意地が悪くてよいです。
ただ、結論部分にはついていけないものがありました。主人公は「甘いとあきれられても仕方がないけれど、おれはおれを許そうと思う」と自己完結します。『羊の告解』でもそうでしたが、いとう作品において許しとは、被害者不在で加害者側が勝手に自分たちに与えるものとされています。この被害者軽視の姿勢はどのような信念に基づくものなのか、気になります。