『わたしがいどんだ戦い1940年』(キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー)

わたしがいどんだ戦い1940年

わたしがいどんだ戦い1940年

『わたしがいどんだ戦い1939年』*1の続編。母親からひどい虐待を受けていたエイダですが、続編の冒頭ではいいことばかりが起きます。手術であっさりと内反足が直り、(あえてこういう言い方をしますが)めでたく母親が死に、オックスフォード主席のインテリで社会性にはやや乏しいが善良な女性であるスーザンが正式な後見人になってくれました。しかし、奪われた自尊心は簡単に取り戻すことはできません。エイダと世界との戦いは続きます。
エイダの置かれた新しい環境は、客観的にみればものすごく恵まれたものであるといえます。でもエイダはなかなか変わりません。人が尊厳を持って生きるということの難しさが、かえって残酷に描かれることになります。
ドラゴンが空想上の生き物だと知らずドラゴンを軍事利用すればいいと言ったりするエイダのずれた言動はギャグとして受容することもできそうですが、このシリアスな設定ではそうもいきません。スーザンは知性の不足と知識の不足を混同してはならないと理性的に説きます。しかし、スーザンに庇護されていても自分の安全を信じられなかったり、愛は空想上のものなのかと疑問を抱いたりするエイダが社会性を獲得するのは、険しい道のりとなります。
ただし、エイダの突拍子もなさが周囲によい影響を与える面も描かれています。愛情深い女性でありながらその表現方法に難のあるソールトン夫人や、最愛の女性を喪った悲しみと正面から向き合えなかったスーザンをよい方向に変えていく様子は感動的です。