『なんとかなる本 樹本図書館のコトバ使い 2』(令丈ヒロ子)

特別なふたり*1の間に生じる愛情の問題にもっとも真剣に取り組んでいる児童文学作家は、おそらく令丈ヒロ子でしょう。令丈ヒロ子の愛の捉え方を考えるには、短編「いちごジャムが好き。」で提唱された「ジブンスキー族」という概念を検証する必要があります。すなわち、他者を愛する前提として、強烈な自己愛が存在するという捉え方です。
この問題を考えるためのサンプルとして、「なんとかなる本」シリーズ2巻に登場する2組のカップルをみていきましょう。「なんとかなる本」は、悩みを抱えた子どもが不思議な図書館に迷いこみ、コトバに関わる術を授けられるという設定のシリーズです。
2巻第2話の主人公のトウリは無駄が嫌いで、いらないコトバを枯れ葉にしてしまう術をもらいます。そのため、親友のサホが大事なことを伝えようとしているのにスルーしてしまいます。
トウリは自分を誰にでも親切な優等生だと思っていますが、客観的にはひとりしか友だちのいないやつです。それでも平然としていられるのは、なにがあっても自分を大事にしてくれるサホに無意識に頼りきっていたからです。トウリがサホに対して抱いている気持ちは、自己愛に基づく依存心でしかありません。トウリはそれを乗り越え真にサホに向き合う第一歩を踏み出します。その小さな歩みの美しさが、この作品のみどころです。
それにしてもトウリの罪深いところは、無自覚にサホをキュンキュンさせる発言をしてしまえるところ。あと数年他人を尊重する訓練をしたら、きちっと責任はとってもらいたいものです。
第3話は、中高一貫の女子校の中等部に入学したセリの物語です。1年生のときにナズナという親友ができましたが、2年生になってクラスが離れてしまい、このままナズナと疎遠になってしまうのではないかという不安に襲われます。
図書館司書のヨウヒにセリが自分の気持ちを吐露する場面をみてみましょう。

「なぜって、それは……。ナズナのことが大好きだからです。」
ナズナと出会う前のわたしは、自信がなくて。悪口言われるのがこわくてビクビクしてて。でも、ナズナといっしょにいると元気になれる。ナズナがいっしょなら、自分の心もまあるくて、明るく満たされる……なにもこわくない感じになるんです。」

ほぼ自分の都合しか言っていません。が、セリの愛は、他人に与えられた光で他人を照らし返すことができるという奇跡を生みます。仲よくふたつならんだ満月の幻視の輝かしさには、呆然と見とれることしかできません。
ちなみに、セリの花言葉は「高潔」で、ナズナは「あなたに私のすべてを捧げる」という重怖いものだそうです。あえて逆ではないかと思えるのにしているあたり、手がこんでいます。

*1:これはいささか不正確な表現で、『失恋妖怪ユーレミ』を参照すると、令丈ヒロ子はポリアモリーも射程に入れているようにも思われます。