語り手は県内トッ
プレベルの
進学校に通う14歳の吉留藍堂。彼は担任の先生から、季節外れの転入生のお世話係を依頼されます。転入生の浅窪沙斗は、先天性可視化不全症候群という奇病にかかっていて、フィクションに登場する透明人間のように包帯ぐるぐる巻きの姿で登場します。その奇病は相手の脳に干渉して視覚処理にエラーを起こさせ、結果相手からは透明人間のようにみえるようになるのだといいます。藍堂は得体のしれない転入生への差別が
エスカレートし、やがて暴動に発展するさまを目撃することになります。
藍堂の語りは、理屈をこね回し自分を高いところにおいて周囲を観察するような態度のもので、
斉藤洋作品の語り手を思わせます。開始1ページで藍堂は自分は女子が嫌いだから男子校を選んだのだと語り、自らがミソジニストであることを告白します。こうした
ホモソーシャルへの親和性の高さも、
斉藤洋作品に近いです。
あらかじめお断りしておきますが、わたしはこの作品について感想めいたものを記すことができません。というのも、この作品の語りには疑わしい点が散見されるので、それを解明しないことにはなんとも語りようがないからです。よって以下の記述は、論点整理程度のものにしかなっていません。
この作品の難しさは、作中に様々なレベルの虚構が入り乱れており、語り手の語りを信頼できない点にあります。作中には藍堂の愛読書である重要な作中作が登場します。これは比較的明確に虚構であると理解できそうです。
作中ではふたつの現実離れした出来事が起こります、ひとつはいうまでもなく先天性可視化不全症候群という奇病です。藍堂が
アジールとしている《兎屋》という釣り堀の常連客は、探偵役のようにそれが
詐病である可能性を示唆します。この場面では、同時に藍堂が仕かけた罠に鯉がかかりもがいている様子が記述されます。これは藍堂が犯人側の人間であり、探偵役がまんまと犯人が仕かけたフェイクの推理を語らされていることの暗喩のようにみえます。
ここで参照しなければならないのは、
石川宏千花の『わたしが少女型ロボットだったころ』(2018・
偕成社)です。『少女型ロボット』の主人公は自分がロボットであることを思い出した少女で、それは思春期のメンタルの不調による妄想であろうというのが大方の読みでした。しかし「日本児童文学」誌の創作時評で東野司が、これは事実であるという読みを披露しました。これを参照すると、先天性可視化不全症候群もガチである可能性を慎重に検証しなければならなくなります。
もうひとつの現実離れした出来事は、アリスが兎に不思議の国にいざなわれたように、《兎屋》の鯉が藍堂を向こう側の世界に誘惑した事件です。これも藍堂の脳内の出来事ととるのが常識的な解釈ですが、上記の事情を考慮に入れると、この判断も難しくなります。
藍堂は現実や他人は自分の解釈によって確定されるという考え方を好んでいます
*1。藍堂は自分と世界や他人との距離、現実と虚構の距離について独特の考え方を持っているようです。さらに、沙斗の発言によって作中にイマジナリー・フレンドという概念が導入されます。こうなるともう、作中のなにが現実でなにが虚構なのかの判別は困難になります。
ところで、藍堂は「」『』の使いわけについて独特の好みをもっています。作中作内のセリフは『』、人語を話す鯉のセリフは『』、過去のセリフ
*2は『』にしているようです。前二者のみであれば、虚構のなかのセリフを『』にしているのだろうと容易に予想することができますが、最後のが加わるとわけがわからなくなります。
また、書籍のタイトルは『』でくくるのが慣例ですが
*3、作中作の《フーアーユー?》《サニーの黙示録》《うそ使い》
*4は《》でくくられています。そして不思議なことに、《兎屋》も《》でくくられているのです。やや飛躍してしまいますが、《》でくくられるのが藍堂が虚構だと認識しているものだと解釈するなら
*5、藍堂にとってあまりにも都合のよい
アジールである《兎屋》はイマジナリー・
アジールで、そこの常連客たちもみんなイマジナリー・フレンドであるという想像もできます
*6。
語り手が馬脚を露していると思われるもっとも重要な箇所は、沙斗が書いたエアメールの文面です。ここで沙斗は、藍堂と同じく書名を《》でくくるという独特の記号の使い方をしています。つまりこれは『
床下の小人たち』オチで、ふたりは同一人物、どちらかがどちらかのイマジナリー・フレンドであったという想像もできます
*7。
ということで、現時点でいえることはふたつだけです。この作品の語り手は全く信用できず、作中の虚構のレイヤーを操作している可能性があるということ。作中の独特の記号の使い方がそれを解明するための手がかりになりそうだということ。これだけです。わたしの力量ではこれ以上のことは語れないので、識者の見解が出るのを待ちたいと思います。