『窓をあけて、わたしの詩をきいて』(名木田恵子)

窓をあけて、私の詩をきいて

窓をあけて、私の詩をきいて

水鳥と咲野と暁生は幼稚園時代からの幼なじみで、強固な絆「鋼の三角形」を形成していました。しかし、中学2年生になると関係が変わってきます。水鳥が秘密で書いていたポエムノートを眩という少年が拾い、それに曲をつけてくれたことがきっかけで、眩も仲間に加わります。水鳥の詩に咲野に対する「重い感情」がこめられていたことを眩は見抜き、水鳥は自分の同性に対する恋愛感情を自覚するようになります。
名木田恵子といえば、国語教科書に掲載されたことで国民的メジャー作品となっている「赤い実はじけた」をはじめとする諸作から、ザ異性愛恋愛至上主義の伝道者というイメージがまず浮かんできます*1。その名木田恵子が百合児童文学を書いたということに、2018年の時代の進歩が感じられます。また、物語の核にはなりませんが、アセクシュアルの存在への言及があったのには驚かされました。
中身は、いつもの名木田作品です。それぞれの家庭は不幸てんこ盛りで、恋愛関係はこの子がこの子を好きだったら一番こじれるだろうなという方向で計算すれば正解にたどりつくようになっています。そういった通俗性こそが名木田恵子の一番の武器です。名木田恵子が通常運転で通俗的な恋愛物語として同性愛を描いたということにこそ、大きな意義があります。
また、人をLだのGだのBだのTだのといったアルファベットでくくることへの反発心のあり方などは、自分を規定するものへの反抗として描かれており、児童文学として普遍的なテーマとして処理されています。Lを「LoveのL」と読み替える水鳥とR(Resistance)のあいだに生まれる連帯感は、普遍性と先進性を兼ね備えた価値観の提示になっています。

*1:これは名木田作品の一部しか読んでいない読者による印象論でしかないので、事実誤認であれば教えていただけるとありがたいです。

『さよ 十二歳の刺客』(森川成美)

さよ 十二歳の刺客 (くもんの児童文学)

さよ 十二歳の刺客 (くもんの児童文学)

主人公のさよは平清盛の孫である平維盛の娘、つまり栄華を誇った平家の姫君です。しかし物語の出発点は壇ノ浦。入水したものの生き延びたさよの生きる目的は、敵将源義経への復讐のみ。男装し、義経の息子千歳丸の遊び相手として義経に近づくことに成功したさよは、暗殺の機会を狙います。
平家のさよと源氏の義経は、あまりにも違いすぎました。優雅さを愛する平家とは正反対の義経義経に対面したさよは、まずその外見の醜さに嫌悪感をもよおし、憎しみを募らせていきます。息子を優雅に育てたいと口先では言いながら武芸が苦手なところをみるとむちで体罰に及んだりといった義経の行動も、さよの常識からはかけ離れています。一方で、「どんな人の心にも、事情さえゆるせば、優雅でありたいという願望があるのではないか」というさよの考えにも驕りはあります。
ただ、違いを分析するだけではなにも前進しません。他者を理解するために必要なのは、なによりも同じ時間を共有することです。さよは次第に義経も人であることを知っていきます。他者との歩み寄りにいたる時間の積み重ねを丁寧に描いているところが、この作品の美点です。
とはいえ、義経の末路はあのとおりです。しかしこの物語は、大きな希望をみせてくれます。その結末に説得力を与えているのは、さよと義経と千歳丸の日々の積み重ねです。ぬけぬけと希望を語れる虚構の力強さをみせつけてくれる作品でした。

『むこう岸』(安田夏菜)

むこう岸

むこう岸

門中学校でドロップアウトし家から離れた公立中に転校した山之内和真、生活保護家庭で母が精神を病んでいるためほぼひとりで幼い妹の世話をしている佐野樹希、接点のなかったはずのふたりが「居場所」という名のカフェを媒介としてつながります。
思いがけないなりゆきで樹希に借りをつくってしまった和真は、「居場所」で勉強の苦手な少年アベルの家庭教師役をやるよう強要されます。勉強ができるがゆえに公立小では孤立し、進学校では逆についていけず脱落してしまった和真にとって、その関係がはじめて得た自分の存在意義を確認できる「居場所」となりました。和真は樹希の置かれている環境について調べ、それをきっかけに樹希も自分の将来に希望を持てるようになります。
『むこう岸』という分断を表すタイトル、「居場所」というそのままの店名。このようなあまりに直截な名づけは、著者にとって勇気のいる決断だったのではないでしょうか。この国の現状をリアルに描くことをひとつの使命としているこの作品では、そういった名づけは有効に機能しているしているように思われます。
この作品に出てくる主要な登場人物のなかで生粋の悪人といえるのは、和真の両親くらいでしょう。あのカタストロフィをもたらした人物も、悪人というよりケアを必要としている人物です。樹希の家庭を弾圧しているかのようにみえた生活保護担当の行政職員も、過酷なブラック労働と感情労働で疲弊した被害者であり、可能であれば善をなしたいという気持ちを持っています。作品が暴いているこの社会の問題は、あまりの余裕のなさです。一部の富裕層を除いた社会のほとんどが疲弊しており、適正な再分配はなされず、社会を支えるためのセーフティーネットを機能させることができなくなっているのです。
生活保護制度に興味を持った和真は、図書館に行きます。これは中学生の選択としては最善に近いものでしょう。しかし図書館の職員はおおよそ中学生には読みこなすことが不可能な『生活保護手帳』を手渡すだけでした。中学生が調べ物の相談に来たら、図書館職員はこれこそ腕のみせどころとはりきるはずです。おそらくこの職員に資質や能力がなかったということではないのでしょう。この図書館にも余裕が欠けていたのだと思われます。作品は、この国ではすでに図書館も破壊されつつあるという悲しい現実も描いています。

『失恋妖怪ユーレミはフラれ女子の味方です! 』(令丈ヒロ子)

KADOKAWAの児童向けホラーアンソロジー「笑い猫の5分間怪談」シリーズに掲載された連作を1冊にまとめたものです。okamaのイラストがそのまま収録されているのも嬉しいです。毎回のように変わるユーレミのファッションを忠実にイラスト化してるので、かなり手間がかかっていそうです。
ユーレミは、好きな人から「半径10メートル以内に近よるな」と言われて川に落ちて死んだ子が妖怪化したもの。自分のように失恋で苦しむ子を救うためハートを食べてあげる「いい妖怪」です。ユーレミはカウンセリング能力が高くてターゲットの失恋女子といい感じになるのですが、食欲に支配されると外見がヘビ化して怖くなるので引かれてしまったりして、結局なんやかんやあって捕食に失敗するというパターンのコメディになっています。おなかをすかせているのに失恋女子の幸福を願ってとぼとぼと帰って行くユーレミの姿が不憫かわいいです。失敗を元に名刺の文面をこまめにアップデートしたりする努力家なのに、ユーレミは全然報われません。
令丈ヒロ子作品ですから当然娯楽読み物として一級品なのですが、作品の背景は陰惨です。ユーレミの死因がひどいですし、ユーレミが過去と向き合う第6話は読者もユーレミとともに取り残されて鬱になるしかありません。恋愛とは人が人を選別することでしかないという残酷さを、作品は克明に描いてしまっているのです。
そしてこの作品の美点は、恋愛ではない別のさまざまな愛のかたちのあり方を提示しているところにあります。たとえば第4話の生物学男子(女子に限定するとなかなか腹を満たせないので、途中から守備範囲を広げている)は、ユーレミがヘビ化してふつうだったら怖がるところを、逆にその生態に興味を持って「理想のキメラ女子」として愛でまくります。学術的興味というのもひとつの愛のかたちとして肯定しているのです。
そもそもユーレミは、怨霊になってもおかしくない死に方をしているのに人を救うために妖怪化した、愛の人です。ただし、空腹は苦しいので腹を満たしたいのか人を救いたいのか目的と手段がごちゃごちゃになっているのが厄介です。やがてユーレミを慕う人間も現れてきますが、ユーレミが食事に困らないように自分が失恋しようと本末転倒な決意をします。なにがなにやら混乱してますが、これも愛のかたちではあります。そして最終的にある兄妹が歪んだ愛でユーレミを共有することになるのですが、これは難しくてどう解釈すればいいのかわかりません。愛は複雑と、雑にまとめておきます。

『トリガー』(いとうみく)

トリガー (teens’best selections)

トリガー (teens’best selections)

中学2年生の音羽の目下の悩みごとは、真面目だった親友の亜沙見が姉の死をきっかけに変わってしまったことでした。とうとう亜沙見は家出をしてしまい、大人に隠れて亜沙見をかばおうとしていた音羽も巻きこまれてしまいます。
センセーショナルな出生の秘密で煽る手法は、やや古くささが感じられます。ただ、友だちのことを気遣うがゆえに悩みには踏みこまないとか、子どもに理解のある母親アピールがしたければ逆に子どものことはわからないというポーズをしなければならないとかいったこじらせ方には現代性が感じられます。
女子ふたりで現実逃避という物語の方向性は、同年に出たいとうひろしの『学校へ行こう』と変わりません。しかし、深刻性は異なります。女子がふたりいればひとりのときよりパワーアップしますが、いい方向に転ぶとは限りません。百合の暗黒面に踏みこんだのが、こちらの『トリガー』ということになります。
それは彼岸へ向かう道行きとなるので、児童文学に向日性を求める人からは好まれないかもしれません。人の心は関係性のなかであまりにも脆弱に揺れてしまうのだということを描いた暗い文学性は評価されるべきでしょう。このような作品も児童文学には必要です。

『給食アンサンブル』(如月かずさ)

給食アンサンブル (飛ぶ教室の本)

給食アンサンブル (飛ぶ教室の本)

やはり、人物の顔が大きく描かれたカバーイラストはインパクトがあって目を引きますね。しかも、イラストは五十嵐大介。スプーンで口を隠していることは沈黙を表すと同時に、スプーンはマイクにも見えるので拡声するという正反対の意味もこめられているのだそうです*1
連作短編集。家が没落してお嬢さま学校から転校してきたために庶民の学校の給食になじめない女子の話だったり、友だちの姉に片思いしていてその子の好きだった給食の黒糖パンを持ち帰ってあげる男子の話だったり、給食をモチーフにしたさまざまなエピソードが語られます。
児童文学は基本的に成長を志向するものです。ただし、どんな文化にも教条主義には必ずカウンターが生まれますから、反成長を標榜する児童文学も脈々と生まれています。反成長派の最近の旗手の一人が如月かずさで、特に強制異性愛に異議申し立てをするというかたちで独自の立ち位置を確立しています。その方面での代表的な作品は、『サナギの見る夢』『カエルの歌姫』『シンデレラウミウシの彼女』あたりでしょうか。
ただしこの作品は、普通に成長を志向するエピソードもあり、中学生になっても童話を読んでたっていいじゃんというような変化しないことを肯定するエピソードもあるので、非常にバランスがよくみえます。
連作の各エピソードの繋ぎが巧みで、かっちりした構成でよい読後感を与えてくれる、著者の技術力の高さを感じさせる作品です。如月かずさのYA作品は先鋭的なものが目立ちますが、これは比較的万人に勧めやすいものになっています。

*1:飛ぶ教室」2018年秋号の如月かずさ×五十嵐大介対談より

『それでも人のつもりかな』(有島希音)

それでも人のつもりかな

それでも人のつもりかな

タイトルのセンスが最高です。小林一茶の「ハンノキのそれでも花のつもりかな」を改変しこの魅力的なタイトルに磨き上げる感性に、読む前から期待がふくらみます。
家庭でも学校でも人間扱いされず自尊感情を持つことができずに育った星亜梨紗は、中学校に進学しても他人とは関わらずに生きていくつもりでした。しかし、担任の上村と父から凄絶な虐待を受けているらしい同級生の大友美有のふたり、どうしてか決して亜梨紗を放っておいてくれない人物と出会うことになります。
亜梨紗や美有に向けられる迫害や暴力は現実にあるものですから、当然この作品はリアリズム児童文学であるといえます。ただし、そのあまりの苛烈さや、それに反比例する登場人物の気高さをみると、むしろこれは宗教説話なのではないかとも思えます。
学校祭でおこなう小林一茶の人生をモチーフにした朗読劇で、美有はナレーションという大役を務めることになります。しかし父親の暴力によって参加が不可能になり、亜梨紗を代役に指名します。劇の本番、包帯だらけで松葉杖をついた美有は周囲の好奇の視線も構わずに亜梨紗を見つめます。美有に見守られながら芝居をする亜梨紗は、自分と美有が同化したかのような錯覚に陥り、いままで感じたことのないあたたかい感覚に包みこまれます。百合が亜梨紗を人間にしてくれたこの場面は、実に感動的です。
ただし、恋愛は根本的には彼女を救ってはくれません。この作品の根底にあるのは、ひとりで実を結ぶことができる雌雄同株のハンノキなのですから。人と人の関係は大事にしながらも、実は孤高の道を志向しているところが、美しいです。
亜梨紗の語りや感情には、彼女なりの論理は通っているはずですが、傍からみれば脈絡に欠け飛躍しているようにも感じられます。その荒さにこそこの作品の魅力は宿っています。これが新人ゆえの荒さなのか、それとも主人公の特性を見極めたうえで文章を制御できる技量のたまものなのか、それはこの1作では判断できません。どちらにせよ、この主人公の感情を捉えるにはこの文体が最良であったということは間違いありません。ぜひ次の作品を早急にみたいです。