『部長会議はじまります』(吉野万理子)

部長会議はじまります (朝日中高生新聞の人気連載)

部長会議はじまります (朝日中高生新聞の人気連載)

朝日中高生新聞2017年4月~9月・2018年4月~9月連載作品の書籍化。中学校の文化部・運動部それぞれの部長会議で起きる事件を、各部の部長が語り手を交代しながら語っていく形式になっています。
前半の文化部編は、文化祭前に美術部が作成したジオラマが破壊された事件をめぐる騒動です。美術部の部長ははりきって部長会議に乗りこもうとしますが、他の部員はなんかしらけていて温度差があります。また、美術部の展示のために園芸部の花壇を布で覆うという横暴も働いていたため、恨まれる要素には事欠きません。
吉野万理子の持ち味といえば、そのゲスさにあります。『時速47メートルの疾走』に代表されるように、スクールカーストの残酷さや子どもたちの感情の行き違いで、子どもを最悪の状況に追いこんでいくのが絶妙にうまい作家です。この作品も、導入部からはそっち系統の作品かという予断を抱かせます。ところが読者の予想を裏切り、ジオラマを彩る装飾を思わせるようなキラキラしたさわやか青春ミステリとなります。ダークサイドを知りつくしている作家だからこそ、その逆も巧妙に描けるという、驚きを与えてくれる作品でした。
後半の運動部編は、第二体育館が廃止されるため練習場所の奪い合いが起こるという話です。こちらもそれぞれの部間や部内の温度差など不穏な要素もあるものの、基本的には善意が力を持つ世界の話になっています。そこに、オリンピックを目指せるレベルのスポーツエリートの生徒と同じく将来を嘱望されている選手だったけど病気で足を失い新たな道を探している生徒という、ふたりの異物を持ち込むことで物語を揺さぶるという仕掛けが憎いです。

『ぼくにだけ見えるジェシカ』(アンドリュー・ノリス)

ぼくにだけ見えるジェシカ (児童書)

ぼくにだけ見えるジェシカ (児童書)

男子なのにファッションに興味を持っているため学校で疎外されている少年フランシスは、冬のある日校庭のベンチで寒そうな格好をしている女子を見かけます。コートも着ていない変な女子に好奇心を刺激され紅茶をすすめてみたところ、「わたしにいってるの?」と驚かれてしまいます。その女子ジェシカは幽霊で、普通の人には見えないはずでした。奇妙な友人を得たフランシスの生活は、徐々に変化していきます。
孤立している息子を不憫に思った母親は、近所に引っ越してくる転校生と仲良くしろといらぬお節介を焼きます。転校生のアンディはチビでマッチョな女子で暴力事件を起こして前の学校を退学になっており、フランシスと友人になれそうなタイプではありませんでした。ところがアンディにもジェシカが見えて、3人は親しくなります。アンディを手なずけたことからフランシスには驚異的なカウンセリング能力があるものと誤解され、また厄介な引きこもり少年の世話を押しつけられ、だんだん仲間が増えていきます。
アンディが学校のクズどもに鉄拳制裁を食らわせたので、フランシスの学校生活は平和になります。アンディの暴力とジェシカのステルス能力や瞬間移動能力でさまざまな問題はとんとん拍子に片付いていきます。ジェシカとジェシカが見える者たちに共通する「〈穴〉に落ちた」というシリアスな問題はあるものの、物語は軽く読めるユーモア児童文学として進行していきます。中盤までは。
終盤になると、物語の背後が露わになります。暴力で問題を解決できるギャグキャラが守る平和の裏側で、なにが起こっているのか。そこには、できれば目を背けておきたいような事態が起こっているのです。ここに踏みこんでしまい、作品世界の空気を二層構造にしたことで、シリアスな児童文学としての説得力が上がっています。

『羊の告解』(いとうみく)

羊の告解

羊の告解

なんでもない1日のはじまりになるはずだったある朝、中学3年生の涼平の家に警察が訪れ、父親に任意同行を求めました。警察に行った父親はすぐに知りあいを死なせたことを認め、涼平の一家は突如として「加害者家族」という立場に立たされてしまうことになりました。
最近では吉野万理子の『赤の他人だったら、どんなによかったか。』(講談社・2015)という例があるものの、加害者家族という題材の作品は他にあまり思い浮かびません。難しい題材に挑んだ意欲作です。
警察が来てからの息をつかせぬ急展開に目が離せません。綿密に取材したらしく、任意同行から逮捕・勾留・弁護士への依頼といった流れにリアリティがあり、読ませます。
作品の結論は、「ゆるし」が大事だというところに落ち着きます。では、その結論に説得力を持たせるためにどのような方法をとるのか。いとうみくは、「ゆるし」の前提にあるはずの罪から逃避し、罪を軽く見せかけることで「ゆるし」に到達するという方法をとったようです。
父親の犯した犯罪の全貌はわからず、被害者の姿は全然見えてきません。かろうじてわかるのは、借金トラブルが原因で父親は金を貸した側であったということだけです。主人公に同情的になっている読者は、どうしても被害者側が悪質な債務者であったのではないかと想像してしまいます。加害者家族にとっての被害者家族は、裁判に有利だからという弁護士のすすめて謝罪の手紙を送る相手でしかありません。実務的なレベルで抽象的な存在にされているので、被害者側の痛みには想像力を及ぼしにくくなっています。また、のちに涼平の友人になる女子も加害者家族で兄が痴漢をしたことになっているのですが、これは冤罪が問題になりやすい犯罪で、作中でもその可能性が示唆されています。まるで、加害者側に都合のいい想像がしやすいように作中の情報が操作されているようです。
とはいえ、加害者家族が罪を追及されるのは理不尽ですから、そこには目をつぶってもいいかもしれません。ただし、主人公の涼平自身が犯した罪は見逃すことができません。児童文学作品において、性暴力という犯罪はそんなに簡単にゆるされていいものなのでしょうか。
いとうみくの長所は作品に昭和感があるところです。たとえば『車夫』のような昭和風美談は比較的安心して読むことができます。ただ、作品によってはこの人は昭和の時代から倫理観がアップデートされていないのではいかと疑われるような要素も散見されます。「ゆるし」をテーマにしつつ性暴力を簡単にゆるしてしまうこの作品などは、デートDVという概念がまだなく、男の暴力を受け入れ堪え忍ぶことが女の美徳であるとされた旧時代の産物なのではないかと錯覚されてしまいます。
時系列をいじる構成や煽り方はうまく、するする読めてしまうので、読後にはいい話を読んだ感は残ります。エンターテイメントとしてはそこそこの出来です。でも、シリアスなテーマを扱った児童文学として本当にこれでいいのでしょうか。

『放課後のジュラシック 赤い爪の秘密』(森晶麿)

放課後のジュラシック 赤い爪の秘密 (PHPジュニアノベル)

放課後のジュラシック 赤い爪の秘密 (PHPジュニアノベル)

2018年にひっそりと創刊された児童文庫レーベル〈PHPジュニアノベル〉に、ミステリ作家森晶麿によるユニークな冒険ミステリがありました。
ミステリでまず大事なのは、魅力的な謎の提示です。この作品では、昼寝から起きたばかりの竜のような奇妙な形をした臥龍梅と呼ばれる木の根元に真っ赤なつけ爪とハイヒールが放置されているという鮮烈なイメージを与える謎が読者を引きつけてくれます。
主人公の小5女子樹羅野白亜は、恐竜が大嫌い。古今東西のあらゆる恐竜映画を見尽くしていて、あの『REX 恐竜物語』についてすら熱く語ることができるのに、あくまで恐竜は嫌いです。退屈な日常に倦んでいた彼女は、臥龍梅の事件をきっかけにこの世界には人間に擬態した恐竜が無数に生き残っているということを知ってしまいます。退屈な日常はあっけなく崩壊し、危険な恐竜から逃げ回りながら謎を追うことになります。
現代に生き残った恐竜の設定が興味深いです。恐竜たちは、人間の出す図鑑を見て元の姿を思い出し、自分の姿をそれに近づけようとしています。つまり、恐竜の姿に関わる学説が変われば、現存する恐竜の姿も変わってしまうのです。しかも、古い学説の姿の方が理想的だと思えば新説をしりぞけそっちの姿を採用できるという都合のよさも持っています。人類の知的好奇心とイマジネーションのいかんともしがたさに恐竜が巻き込まれてしまうという構図がひねくれていておもしろいです。
自分勝手で頭がよく他人を利用することに躊躇しない主人公のキャラクターも強烈です。なぜか白亜の家に居候している探偵や白亜に片思いしている「糞に触る系男子」など、脇役も曲者揃いです。
田中寛崇のイラストにも魅力があります。本をめくると目次のページにはカバーイラストの人物だけをシルエットにしたイラストが改めて配置されています。この演出は憎いです。作中のイラストでもっとも怖いのは、異形の怪物が描かれているものではありません。最も重要な謎である臥龍梅とハイヒールのイラストです。風景で恐怖感を煽る技術力にうならされます。
多くのポテンシャルを秘めている作品なので、ぜひシリーズ化してもらって、〈PHPジュニアノベル〉を盛りあげる柱になってもらいたいです。

『ポーン・ロボット』(森川成美)

ポーン・ロボット

ポーン・ロボット

森川成美による上質の娯楽ジュヴナイルSFが登場。田中達之のイラストもかっこよくて、謎めいた雰囲気の良作になっています。
この作品、まず序盤の異常状況の畳み掛けがすごいです。主人公の千明は6月の夕方、ジョギング中に奇妙なランナーを目撃します。全身黒ずくめのタイツ姿で、何より変なのはそのランニングフォーム。上半身はまったく動かさず下半身だけで走っていて、まるで人の形をしたダチョウが走っているような姿でした。次の場面は夏休みの初日。千明は青い髪の人間離れした美少女が時計店で万引きをしようとしているところに出くわします。千明が万引きをやめさせようと念じると、なぜか少女の動きが止まります。念じ続けているうちに千明は意識を失い、家に帰るとなんと家がまるごと消失していて、完全に千明の日常は失われます。ほんの30ページほどで、読者は作品の異常な世界に引きこまれてしまいます。
そして物語は、ロボットテーマのSFに発展していきます。争いごとは起こしたいけど自分の手は汚したくないという人間の欲望とロボットというテクノロジーが結びついたときにどのような問題が起こるのか。興味深いテーマが扱われています。
深刻なテーマは内包しつつ異世界の住人と友情を結んで世界の危機に立ち向かうという流れは、大長編ドラえもんの構造と同様です。つまりこの作品は、われわれの感性にもっともマッチしている極上の娯楽SFだということになります。
出版社のサイトでは、SF界の大御所である新井素子の解説(もちろんあの文体!)が読めます。こちらも必読です。
http://kaiseiweb.kaiseisha.co.jp/a/review/rev1902/

『野生のロボット』(ピーター・ブラウン/作・絵)

野生のロボット (世界傑作童話シリーズ)

野生のロボット (世界傑作童話シリーズ)

無人島に漂着したロボットが島の動物たちから学びながら生き延びるすべを獲得していくSF童話です。
ラッコが偶然起動ボタンを押したために目覚めたロボットのロズは、はじめは正体不明の異物として動物たちから警戒されます。ロズはナナフシの擬態を見て学習し、体中に泥を塗って木の葉やコケでおおい、「歩くしげみ」に擬態します。とりあえず身の安全は確保されたので、ロズはさらに動物たちの行動を観察して学習を続けます。やがてロズは、孤児となったガンの赤ちゃんを拾います。その母親役を引き受けることによって、だんだん動物たちのなかにとけこんでいきます。
ヒトのいない無人島が舞台なので、作品世界にはある種のポスト・アポカリプスSFの持つような奇妙な優しさが漂っています。ロズが知りあう動物たちは、擬態が得意だったり工作が得意だったり、さまざまな特技と知性を持っています。ロズはヒトの知恵も持っていますが、さまざまな動物たちの持つ知性の前では、それはただ火の扱いが多少得意だという程度のものに相対化されます。ヒトを特別視しない世界のあり方が心地いいです。
ロズがだんだん動物たちと親しくなり、赤ちゃんも大きくなっていって、最後に危機が訪れドッタンバッタン大騒ぎになるという物語の流れも、起伏に富んでいて熱いです。続編が出ているようなので、ぜひこっちも邦訳を出してもらいたいです。
The Wild Robot Escapes (English Edition)

The Wild Robot Escapes (English Edition)

『つくられた心』(佐藤まどか)

つくられた心 (teens’best selection)

つくられた心 (teens’best selection)

「監視カメラや盗聴器、スパイではありません。あくまでも〈防犯カメラ〉、〈防犯用集音マイク〉、〈見守り係〉ですので、お間違えのないように」(p6)

政府の主導する「理想教育モデル校」が舞台となるディストピアSF。その学校では監視カメラや盗聴器で生徒のすべてを監視し、ガードロイドと呼ばれる監視用アンドロイドを生徒にまぎれこませて、安心して学校に通える仕組みが整備していました。生徒がガードロイドを探ることは禁止されていましたが、この場合禁止はどんどんやれと同義です。新入生たちは喜々としてガードロイドの正体暴きの探偵ごっこをはじめます。
人のプライバシーを暴くことは人類にとって至高の娯楽、しかもそれは差別していい相手を暴く正義の活動なのですから、そりゃ楽しいに決まっています。いかにもロボットっぽいやつが怪しいとか、いや逆にそういうやつは怪しくないとか、ガードロイドの家族役は演技ができる人がやっているはずだから親が演劇関係者のやつが怪しいとか、愉快な推理合戦が繰り広げられます。ゲスですばらしい相互監視ディストピア。ということで、こういう設定の話はわたしの大好物のはずなのですが、よくわからないところがあったので以下に疑問点を書いていきます。作品の結末に触れているので未読の方はご了承お願いします。







この作品、あまりにも説明不足で作中のロジックがどのようにつながっているのかがわかりにくいです。疑心暗鬼による相互監視が克服され学校の雰囲気がよくなっている理由がよくわかりません。それが政府の意図通りなのかそうでないのかも判然としません。
監視社会・ロボットの心や人権問題・ロボットによる人類の支配とさまざまな論点が提出されますが、それぞれの論点のつながりもわかりにくいです。作品の最後はロボットが支配する社会への警鐘を鳴らして終わります。これの唐突感が否めません。監視社会は現実と地続きの社会問題ですが、ロボットによる支配に至るまでには何段階か飛躍があります。作品の終盤にあるようにロボットに心があると認めるのであればべつに問題はないはずですし、それを問題にするのであればガードロイドがすでに人類の思惑を超えてなにかをしたというエピソードを気持ち悪く描かなければならないはずです。飛躍はきちんと埋められているのでしょうか。
読者にさまざまなことを考えさせたいという意図はあるのでしょうから、ガードロイドの正体など多少ぼかしているところがあっても欠陥にはなりません*1。ただし、作中の論点や論理展開の整理が粗雑だったのだとすれば、それは読者をいたずらに混乱させるだけです。そのあたりが成功しているのかどうかわたしにはよく読み取れなかったので、きちんと読めている方に解説していただきたいです。

*1:ガードロイドが誰なのかということについては、最終盤にあのような情報を出したことから、あいつを疑えと誘導しているのであろうということは予想できます。