『君色パレット すきなあの人』

〈多様性をみつめるショートストーリー〉と銘打たれたアンソロジーの2期1巻。

神戸遥真「わたしのホワイト」

中1のリカは、クラスの完璧超人柊木さんに憧れていて、家や塾などクラスの人に見つからない場所でこっそり柊木さんの持ち物をまねたものを使用していました。小学校からの友だちのゆずちゃんは人の目につくところで好きな人の持ち物をまねして嫌われることの多かったので、ゆずちゃんに比べたら自分はうまいことやっていると思っていました。ところがある日、偶然柊木さんが知らない女と出かけている場面を目撃してしまい、柊木さんに対する幻想を破壊されてしまいます。
憧れの人が誰かの劣化コピーであったという事実を突きつけるのは、なかなかにいじわるです。そこから「特別」であることについて考えを深めさせていく流れは教育的です。

令丈ヒロ子「最高のカノジョ」

令丈作品のキャラが人外相手にキュンキュンするのは、通常運転です。しかしそういうオチにしますか。令丈ヒロ子は総合点が高いのでことさら指摘されることはあまりありませんが、実はものすごく短編がうまい作家なのです。令丈ヒロ子らしい切れ味が光る好短編でした。
それにしても、現在児童文庫界の柱の一角になっている神戸遥真とベテランの令丈ヒロ子が並んで質の高い作品を出してくれると、この業界の層の厚さが実感できて頼もしいです。

少年アヤ「クリィミーじゃない鳥のはなし」

少年アヤの児童文学デビュー作は「うま」が主人公の話でしたが、今度の主人公は「鳥」です。ある冬の日、鳥は突然「すてきな、普通の、男の子」に変身します。鳥は本来男でも女でもないという性自認の持ち主でしたが、この魔法により気持ちが楽になり、好きな男子銀之助との関係もいい感じになってきます。
魔法で楽になった気持ちと自分にも他人にも嘘をついているという苦しみに引き裂かれる鳥の姿に胸を塞がれます。それゆえ、ラストの奇跡の感動も増幅されます。

こまつあやこ「おばあちゃんの恋人」

翠のおばあちゃんに恋人ができて、翠は両親の指令でこっそり相手の様子を探りに行きます。相手はおばあちゃんとは不釣り合いにみえるイケてるおじいさまだったので、おばあちゃんはだまされているのではないかという不安がよぎってしまいます。
作品は、恋愛における似合う似合わないということに対する思いこみを解きほぐす方向に進みます。そのさいに、生け花とフラワーアレンジメントを対置するセンスが、様々な文化を愛するこまつあやこらしいです。

『シニカル探偵 安土真 2 七草館の大冒険』(齊藤飛鳥)

アクが強い奇人変人の子どもたちが〈放課後カイケツ団〉として探偵活動にいそしむシリーズの第2弾。カバーイラストは、目が死んでいる女子が平然とピッキングを成功させるシーンです。児童文学の主人公像としては、かなり斬新です。
戦闘狂の男子熊本歌樹(ウータン)が秘密基地にしていた七草館という空き家が突如心霊スポットとして有名になって大勢の人が出入りするようになってしまいました。その空き家を自分の居場所にしようともくろむ疫病神体質の女子渡辺さくらと性格最悪の自称探偵安土真は、ウータンに協力して七草館が心霊スポットになった原因を探ろうとします。そのためにまず、情報屋の女子伏見久美穂に恩を売って仲間に引きこもうとします。第2巻では久美穂が持ちこんだ依頼と七草館への突入の、大きくふたつの事件が描かれます。
久美穂が持ちこんだ依頼は、彼女の友だちで平安時代のお姫さまの生まれ変わりだという山田莉梵の悩みごとの解決でした。それは、SNSで再会した前世の恋人と実際に会うべきかどうかというもの。そいつは即座にお縄にかける一択なんですが、安土真は莉梵の前世設定は否定しないままで相手の嘘を暴き、会うことを断念させます。1巻では性格最悪にしか思えなかった安土真にも彼なりの優しさはあるのではないかと、彼の見え方が変わっていくところが2巻の見どころのひとつです。
まんまと久美穂を仲間に加え、いよいよ七草館攻略作戦が始まります。心霊スポットになった七草館は、いつも複数の肝試しグループが訪れていてお祭り状態。この作品世界は、治安が悪いというより治安がバカだといった方が正確かもしれません。
七草館の冒険では、豪快な大立ち回りあり手のこんだ心理トリックありで楽しませてもらえます。この冒険を通してデタラメなメンバーのあいだにも友情が成立したのでしょうか? とりあえず結成エピソードはこれでひとまず片づいたようです。きちんと読者への挑戦状がついているオーソドックスなミステリとしての質は高いので、キャラは突き抜けつつも安定したシリーズになってくれそうです。

『葉っぱの地図』(ヤロー・タウンゼンド)

植物たちだけを友人としてひとりで野いばら村のはずれの小屋に住んでいる少女オーラの物語。もうすぐ村に感染症がやってくるとして、村の監督官アトラスはオーラの周囲の植物を焼き払おうとします。逆らったオーラはアトラスの屋敷に連行されます。孤独な戦いを強いられたオーラですが、運命のいたずらで兄の病気を治すために奮闘する少年イドリスとアトラスの姪のお嬢さまアリアナと行動を共にするようになります。三人は舟に乗って逃げ出し、時に反目しながらも病気の謎を解くための冒険を繰り広げます。

進めよ進め。荒れ野の森の、荒れ野の川。
オークのように古く、岩のように黒い川。
森には秘密。川には秘密。
旅は三日目。急げよ急げ。

周りが敵だらけで感染症の脅威まであるオーラたちの冒険には、なかなか緊迫感があり読ませます。でも、オーラに歌うように呼びかけてくる植物たちの声には励まされます。
病気の謎は、「おまえたち子どもには、おとなの世界の善悪がわからないだろう。苦しむ者がいてこそ、この世の中は回っていくのだ」という方向性だったので、日本の悪い児童文学のオタクは上野瞭だ、『日本宝島』だと盛り上がってしまいます。ただしこの作品は、子どもが自分のこわがる感情を受け入れることに希望を見出しています。

『くじらのとうせんぼう』(作=杉山径一/ え=真鍋博)

真鍋博 本の本』*1で、70年代から80年代あたりに不条理児童文学を出していた杉山径一とSFやミステリの挿画で有名な真鍋博が組んでつくった絵童話があることを知り、探してみました。全ページに真鍋博のイラストがあり、文字の部分にもイラストやエフェクトがかかる演出があったりして、いま読んでもスタイリッシュな本でした。
内容は、家が一軒しかない小さな島に住む家族の話です。両親の不在中になつおは電話で花火やさんを呼びます。図々しい花火やさんは家に上がりこんでどこかへ電話をかけ、くじらのとうせんぼうをつかまえるための仲間を呼び寄せます。親のいないときに家に不審者を入れちゃダメだって。なつおやくろやぎのれんたんもとうせんぼう捕獲に協力し、奇想天外な冒険が始まります。
今村秀夫によるあとがきは、自分の息子と対談をするという形式で記述されています。ここで指摘されているように、なつおがそのままくじらに乗って旅に出て家に帰らないという結末には当惑させられます。なつおの失踪後に生まれた弟が「なつお」と名付けられて、彼が「もうひとりのなつおを みつけるんだ」と決心して物語は閉じられます。このラストはある種の分身譚のようにも感じられ、奇妙な読後感を残します。

『JC紫式部① 転校先は、"姫"ばかり!?』(石崎洋司)

大河ドラマ効果で児童書コーナーには紫式部本がたくさん並んでいますが、それにしてもよくこんなカオス企画が通ったものだと思います。
巻頭は阿倍野ちゃこ*1の漫画で、紫式部藤原兼家にunkoを投げつけるという、青い鳥文庫史上でもなかなかの下品な開幕をみせます。そして本編の舞台は現代に移り、主人公はニューヨーク育ちの帰国子女の中学一年生一ノ瀬彩羽が務めます。父の仕事の都合で日本の学校に転校しますが、そこがなぜか平安ワールド。転校初日に毎月入っていい校門が変わるシステムが理解できず困っていたところを、高等部のイケメン道長さまに助けられます。そのシステムを攻略するのは初見には無理。日本育ちの中学生でもふつうは方違えのルールは知らないし「衣通姫」とかの読み方も知らないし「藤原」に序列があることも知らないので、彩羽はなにも気にしない方がいいと思うよ。
彩羽のお世話係になったのは藤原紫(貧乏な方の「藤原」)。彼女との出会いの場はローズガーデンという優雅な場所でしたが、紫は彩羽に一平ちゃんをごちそうしてくれるという庶民性をみせます。帰国子女が真っ先に体験すべき日本文化はカップ焼きそばなのか。それもペヤングでもUFOでもなく一平ちゃんであるというところにこだわりが感じられます。しかし紫はクラスの女王様の清原清菜と対立していたので、彩羽も巻きこまれてクラスで孤立してしまいます。
石崎洋司が娯楽読物作家として優秀であることはいうまでもありませんが、彼には娯楽読物を通して子どもに知識を与えようとする生真面目な教育者の側面もあります。黒魔女さんを読んでいれば、かなりの教養が身につきます。そんな石崎洋司ですから、こういう企画はお手のもの。意味不明なルールの多い平安世界を不条理ギャグワールドとして読み替え、娯楽読物として昇華しています。
石崎洋司らしくオカルト要素が強いのも楽しいです。もっとも気になるのは、目玉のついた気持ち悪い黒バラ。1巻の時点ではまだ物語の方向性はあまりみえませんが、ミステリアスな布石はいくつも打たれているので、続きが気になります。

*1:巻頭漫画構成協力として天王寺きつねの名前もクレジットされている。

『トモルの海』(戸部寧子)

第4回フレーベル館ものがたり新人賞大賞受賞作。小学5年生のトモルは、夏休みにおばあちゃんの家に滞在しました。誤算だったのは、トモルはおばあちゃんの家の近くには海があるものと思いこんでいたのに、なかったこと。ひとりでスポーツウォール相手にボールを投げていると、めぐると名乗る年上のおねえさんに声をかけられます。トモルの夏は、この神出鬼没のふしぎなおねえさんめぐるちゃんと過ごす日々になりました。いや、早く逃げて。夏に少年の前に現れるおねえさんはだいたい妖怪だから遭遇したらダッシュで逃げろって村の古老から教わったでしょ。

どんな鳥だって
想像力より高く飛ぶことは
できないだろう
寺山修司ロング・グッドバイ」)

なみだは
にんげんの作る一ばん小さな海です
寺山修司ロング・グッドバイ」)

物語の軸はトモルが自分だけの海を見つける物語と要約すればすんでしまうので、あまり論評を付け加える必要はありません。現実と夢が容易に混濁してしまう作品世界の幻想性を楽しめばよいだけです。物語の冒頭からして、お父さんの運転する車のなかで知らない人と海辺でキャッチボールをする夢を見るところから始まるので、その方向性は徹底しています。たとえば、水族館で魚を見ているといつの間にかその場にいなかったはずのめぐるちゃんが現れ、いっしょに水槽の中に入りクラゲやペンギンやオットセイたちと野球をしているといった具合。読者にできることは、「想像や夢が現実を追いぬく瞬間だってあるわ」というめぐるちゃんの言葉に導かれるようにたゆたうことだけです。

『ポー短編集 黒猫』(原作/エドガー・アラン・ポー 文/にかいどう青)

もちろん、「黒猫」のような残酷な猫虐待小説が良書なわけがありません。でも、文学を愛する人々はみんな知っています。子どもにはむしろ悪書をこそ手渡すべきだということを。
ポプラ社〈ホラー・クリッパー〉シリーズの第5弾。いままで三田村信行富安陽子松原秀行・令丈ヒロ子といった人気実力を兼ね備えた押しも押されもせぬベテランが並んでいたシリーズでまだキャリアが10年に満たない作家が起用されるのは通常なら違和感が持たれそうですが、にかいどう青であれば当然という感じがします。
にかいどう青が選んだポー作品は以下の通り。

「黒猫」
ウィリアム・ウィルソン
「赤死病の仮面」
「アモンティリャードのたる」
「落とし穴とふり子」
「ひとり」

ここでは、にかいどう青という作家を理解するための手がかりとして収録作をみていきます。
収録作のほとんどは、死を前にした人の手記・告白という形式のものです。「黒猫」の主人公は絞首台を前にしていて、「ウィリアム・ウィルソン」も死を目前に控えた人の手記です。結果的に助かるものの、「落とし穴とふり子」も死刑宣告をされた者が白い紙に書き記した手記。「アモンティリャードのたる」ははっきりとはしていませんが、光文社新訳文庫版『黒猫/モルグ街の殺人』の訳者の小川高義は作品の冒頭に一度だけ「you」が使われていることから、これは死を前にした老犯罪者が自分の罪を聖職者に告白したものなのだと解釈しています。この作品集は、露骨に読者を死に向きあわせようとしています。
最初に配置された「黒猫」では、はじめは親友だった猫に対する愛情が裏返ります。愛と憎悪が表裏一体であるというのは、にかいどう青作品でも繰り返されているテーマです。
その意味において黒猫は他者ですが、次に配置された「ウィリアム・ウィルソン」を参照すると、別の見方ができます。殺しても殺しても蘇り、いくら逃げようとしても逃げ切れない存在とは、自分自身に他なりません。ここで他者と自己が同一のものになります。この2作を続けてみると現れてくる自己と他者の混同・とけあいから、いくつかのにかいどう作品において(主に同性間の)恋愛は好きな相手と一体化することによって成就することも思い起こさせます。
最後にひとつだけ詩の「ひとり」を配置しているのも意味ありげです。自己と向きあい孤独を志向する態度.。にかいどう青は主にどのようなタイプの子どもに語りかけようとしているのか、その姿勢がみえてきそうです。